オーストラリア岩絵撮影行・一日目(ケアンズ〜ローラ)

前回書いたように、四度目、そしておそらく最後のオーストラリア撮影に来た。
ケアンズに朝5時過ぎに着き、レンタカーを。今回もエクストレイルかアウトランダーという簡易な4WDを予約しておいた。4WDと明記はされていないが、車種としては4WDと考えるのが普通だろう。今回は自分たちで本格的な4WDを調達する必要は無いよね?と、出発前に確認し、返事は必要ないというものだったが、ローラからジョワルビナに至る道はオフロード。川を越える場所もある。普通の車ではやや心もとない。
空港のeuropcarのカウンターに行くと、以前と同じおばちゃんが座っていた。4WDなんでしょ?と聞くと、「いいえ。でも同クラスのトヨタのクルーガーは新車ですごくいい車で云々」と。まさかの2WDだった。リストにクルーガーなんて書いてなかったぞ。が、必ず4WDともどこにも書いてなかったので、文句も言えず。いやな予感がしたが、仕方ない。2WDになるとわかっていれば、もっとコンパクトで安い車にしたんだが。

機内で3時間ほどしか寝ていないが、300キロ北のローラに向かう。海外で一人で車を運転する旅行は初めてだ。一人旅は好きだが、一人で車の運転はあまり面白くないし、眠くなりそうでこわい。
ポート・ダグラスに入る道の付け根に朝早くからやっているスーパーがあるのを知っていたので、立ち寄ってあれこれ買う。キャンプだが、調理できるかどうかわからないので、リンゴ、バナナやらパンやらクッキーやら、調理が必要ないもの、水、ジュース、ウェット・ティシューなどを買う。一応、小さな発泡スチロールの簡易クーラーボックスも買った。やっぱりビールだけは冷えたのが飲みたいので。
ケアンズの北は熱帯雨林の山が連なっていて、道は細く急なカーブが多い。道のすぐそばに綺麗なビーチが見えるが、ともかく居眠りせずにローラに早く着くのが大事なので、止まることなくひたすら走った。

今回は二年に一度ローラのダンス・フェスティバルにからめてアボリジニの壁画撮影の締めとしようと思っている。前回ローラを訪れたときは大きなサイクロンの影響で主要サイトに行けなかったのだ。2014-05-07 - lithosの日記ローラ周辺にはかなりの数の岩絵のサイトがあるようだが、主にはローラの近くの数ヶ所、ローラから南にオフロードを一時間ほど南に下った所にあるジョワルビナ周辺にある数ヶ所とに別れている。前者はクィンカン・アンド・リージョナル・カルチャー・センターという公的な機関だけがツアーを行っていて、基本的に他の方法でのアクセスは認められていない。ジョワルビナ周辺は、ジョワルビナのオーナーであるトゥリーザイス家がずっと案内役をしてきた。
先ず一日ダンス・フェスティバルを見て、後三日岩絵を見たいのでアレンジしてほしいと、ジョワルビナのオーナー、トゥリーザイス家のマットにメールで頼んでおいた。彼は今ジョワルビナから離れ、彼の弟スティーブが管理している。前回別れ際にスティーブが「私に言えばどこにでも連れていってやる。本来カルチャー・センターのツアーじゃないと行けない場所も、アボリジニの友達と一緒に行けばOKだから」と、言ってくれた。今回は彼に全面的に任せることにした。

300キロはオーストラリアの地図で見るとすごく近いのだが、やはり遠い。ようやくローラの50キロほど手前で電話をかけると、なんとスティーブの娘さんエラが電話に出た。「父さんがあなたのキャンプ用品をダンス・フェスティバルの入り口に届けてあるから」という。彼女はメルボルンに住んでいるが、フェスティバルに合わせて父親に会いに来ているのだ。入り口で待ち合わせした。
ダンス・フェスティバルの会場に入る時、厳しいアルコール、ドラッグのチェックがある。ダンス・フェスティバルのときくらいみんなビールを飲みながら楽しくやるのかと思いきや、やはりアボリジニにとってアルコールは重大な問題で、平穏を保つには一切持ち込ませないことが必要なのだ。場内禁煙というのも驚いた。
「お前は日本から来た写真家か?」と聞かれる。写真家というほどでも無いが、まぁそうです、というと、これを預かっていると。テントとキャンプ用品とマットレスを麻ひもで縛ったものが置いてあった。スティーブが用意してくれたものだ。キャンプ用品はありがたいが、もう疲れて薪を拾い集める気力はない。


入り口で写真撮影の許可を得ようとすると、撮影はいいが、パブリッシングはダメという。意図を説明すると、じゃあ責任者のトレーシーに確認せよ、と。
そうこうしているうちにスティーブの娘と彼女の友達のカップルが来た。テントを張り、ダンス・フェスティバル会場に。有名なフェスティバルだが、それほど観客は多くない。入場者が4000人を超えたというアナウンスがあった。
トレーシーを探して、写真使用の許可をくれと頼むと、ちゃんとした本に使うならいいでしょう、と。50歳くらいのおばちゃんで、どこか東洋人ぽい雰囲気もある。「で、どこから撮りたいの?」という。これは思ってもみなかったことで、特別に一般客よりも内側に入れてもらった。「本が出来たら送ってよね」と。

ダンス・フェスティバルは伝統的なものをモダンにアレンジしたものなのかと思っていたが、さにあらず、ほとんどが拍子木(ブーメランを使う場合もあり)と長い太鼓、まれにディジェリドゥというシンプルな伴奏で、踊りもおそらく非常に伝統的なものばかりだ。ワニの踊り、鷲の踊り、戦士の踊り、いろいろあるが、面白いのはひとつが10か長くても30秒くらいの短い単位で、これを何度か繰り返す。男だけのグループもあれば、男女混合のものもある。全体に男は手を大きくひらいて、足は蹲踞のように低く落として激しく小刻みに踏みながら進む。女性は胸元を押さえて左右にスイングしながら動く。
動物の動きを模した、鷲の踊り、エミューの踊り、ヒクイドリの踊りなどや、長槍と盾を持って踊る勇壮な戦士の踊りもある。釣り人をワニか悪霊が後ろから襲うというものや、子供を亡くした女が他の女の子を盗むというものなど、ちょっとしたストーリーがあるものもある。ほとんどが体に白い石灰でペインティングをしているが、これを真っ黒い人がやっていると、模様が動いているように見えるのが味噌だ。白人との混血も進んでいるので、浅黒い程度の人、髪の毛がブロンドのような人などいろいろで、なかにはどうみても白人という人もいる。申し訳ないが、白い体の人はあまり格好良くない。もしかすると自発的にアボリジニと縁戚関係をもった人なのかもしれない。



写真で何度となく見た、尖り帽子に鳥の羽毛をたくさん貼り付けた人たちもいた。彼らが一番シンプルで、エミューやカンガルーなど、ほとんと動物の動きを模した簡単なものなのだが、約十人ほどのグループで、ペアが二組で演じているとき、他の人は両手を頭の後ろに回して立っている。この姿が例のフエゴ島の尖り帽子の人ととても良く似ていて、BBCでやっていたフエゴ島の住民の祖先はアボリジニではないかという大胆な仮説を思い出した。







多くのグループが子供を含む様々な年齢の混成なのだが、やはり年寄りは風格がある。ひとしきり美しい投槍器と槍をかまえる踊りをして、かっこいいところを見せつけたあとは、「後はお前たちが頑張れ」という感じで若い者に任せて休んでいた。

ボディー・ペインティングは昔の写真などに比べると比較的簡単だ。顔がわからないくらいやっている者は少ない。もちろん下半身は隠しているし、女性は胸から下を隠している。手形を押す簡易なものが多いが、岩絵から続く伝統的なモチーフだといえる。
ディジェリドゥの音が響き渡るとがらっと周囲の空気が変わる。呪術的な世界に一気に引き寄せられるような力がある。(マイクとアンプを使っているが)






日が暮れるまでダンスを観た後はヘトヘトになりつつ近くのロードハウスに。夜スティーブに連絡することになっていたが、ダンス・フェスティバルの会場は電波が届かない。予定を確認すると「明日午後1時にダンス・フェスティバル会場の入り口で待ち合わせ」と。午後1時? せっかく丸三日とってあるのに? いやな予感がしたが、それが的中することになる。
サンドイッチを買って夕食とした。早々に寝るがスティーブのテントとマットレスは結構快適だ。寝ていてどうも臭うなと思ったら、テントの横にフレッシュな牛の糞があった。ダンス会場の方が騒がしい。おかしいな、ダンスは終わったはずなんだけど、と思っているうちに眠りに落ちる。後で知ったが、昔の映像などを上映したり、面白い出し物が続いていたらしい。