ラビリンス

彩流社から刊行される武部好伸著『イングランドケルト」紀行』の口絵にいくつかの写真を提供した。武部氏の「ケルト紀行」シリーズはこれで8冊目。装丁をずっと担当しているが、今回は私も訪れている場所が多かったので、手元にある写真でカバーと口絵を作らせてもらった。その中にコーンウォールの北東、アーサー王生誕の地伝説のあるティンタジェル近くの山の中にある、ラビリンスの石彫の写真がある。廃墟になった水車小屋の隣の岸壁に二つの迷路が彫られているものだ。石彫そのものは年代測定はできない。4000年くらい前のものだという人もいれば、ケルト時代のものだと言う人もいれば、近代以降のものだという人もいる。結局、よくわからないのだが、プリミティブな迷路の彫り物としては有名だし、コーンウォールという、「異教」の名残りの多い土地にふさわしいものではある。
誰でも子どもの頃に一度や二度は迷路遊びをしたことがあるに違いない。娘が読んでいる(?)雑誌などにもよく載っている。私の祖父は長野県の下諏訪で写真館をやっていたが、ブローニー・フィルムの軸に紙を巻いて、迷路遊びを作ってくれたのをよくおぼえている。祖父にしてみれば、手近なもので作った、ちょっとした時間潰しだったのだろうが、私にとっては祖父との最も思い出深い、わくわくした場面だった。
迷路には不思議な魅力がある。古くは牛頭の半獣半人の怪物ミノタウロスが住んだラビリントスから、シャルトルの床に描かれた巡礼の道のりを象徴する迷路、遊園地や庭園につくられた迷路など、いろいろあるが、このティンタジェルの迷路は筋道を指でなぞることを目的につくられたようだ。古いものだとすれば、何らかの宗教的な儀礼の場であったかもしれない。
そういえば、10年以上前だが、マック用のゲームとして、「ミスト」「リヴン」というのがあった。いろんな場所を歩き回って、ヒントを探し、目的の場所にたどり着くまで試行錯誤するというものだったが、ムキになりやすい性格ゆえ、のんびりとやることができず、実家での正月休みのほとんどの時間をこれに費やした。部屋に籠ってひたすらやっていたので、親が「こいつ、だいじょぶか?」という目で見ていたのをおぼえている。激しく消耗し、二度とこういうものはやるまいと心に誓い、それ以後ゲームをやっていない。あれもひとつの迷路遊びだった。迷路にはまりやすい性格なのかもしれない。