アンティキティラの機械

lithos2006-12-02

読んではいないけれど、30日の読売新聞に、「アンティキティラの機械」の復元に成功、というような記事が出たらしい。「アンティキティラの機械」というのは、ギリシアアンティキティラ島近辺の沈没船から見つかった、青銅の歯車が組合わさった何らかの機械の断片だ。2000年前のものだという。昔から「オーパーツ」として有名なのだ。「オーパーツ」というのは、「場違いなもの」という意味で、本来そこにあるはずのない遺物というようなことなのだ。つまり、古代遺跡から出てきた飛行機の模型のようなものとか、電池のような構造の遺物とか、「古代の技術では作り得ない」と言われる様々な遺物のことなのだ。「超古代文明」論を支持する人たちにとっては、「古代に現代よりもずっと進んだ文明があった」証拠として、デニケン(!)さんのような人にとっては、「古代に宇宙人が来訪した」証拠として重要なのだ。
「アンティキティラの機械」は素性がしっかりしているというか、ねつ造されたものでないことがはっきりしているので、これまでも本格的に調べようという試みがされてきたように思う。今回もギリシアウェールズの大学が中心になっているらしい。以前、ヒューレット・パッカードが調べているという記事を読んだこともある。その調査結果が『ネイチャー』誌に載ったらしい。『ムー』じゃないぜ『ネイチャー』だぜ、ということで新聞記事になるわけだ。
http://www.nature.com/news/2006/061127/full/444534a.html

研究成果によると、この機械は太陽や月の運行を計算し、月食の日付まで割り出せる高度な計算機であったらしい。この説は実は何十年も前からある。私が子どもの頃に読んだ本にも載っていた。つまり、俗説のようなものを、大学の研究機関が検証したということなのかな。アストロラーベという中世にイスラム世界で作られ、ヨーロッパにも持ち込まれた天体観測の道具があるが(『薔薇の名前』でショーン・コネリーが見てたやつ)、これはその、とんでもなく高度なものだったということらしい。
オーパーツの話は楽しくて好きなのだが、この分野を仕事にしている人たちは、どうも恣意的なところがあって、都合の悪い情報は無視する傾向が強い。ので、全体がなんとなくアバウトな具合になっている。
古代マヤ遺跡から出土した水晶の髑髏と言われる遺物が、確か三つか四つある。それぞれバラバラに、異なる事情で世の中に出てきたものだが、これも有名なオーパーツだ。その筋の本などでは、古代の技術では作り得ないとされている。水晶はモース硬度7と非常に硬く、冶金技術もなく、石器しか持たなかったマヤ人に加工できたはずはないという説明だ(本当は水晶の粉などで磨けると思うが)。だが、これらが本当に遺跡から出てきたのかどうか、はっきりと証明されているものは一つもない。素性がとても怪しい。マヤ文明を担った人たちは髑髏にこだわった人たちで、素焼きや翡翠の髑髏がたくさん出土している。石彫の髑髏は数えきれないほどある。件の「水晶の髑髏」は様式に二タイプある。マヤ時代の様式にとてもよく似ているものと、顎が取り外せる、リアルな頭蓋骨の形をしているものだ。この、リアルタイプは、一見してマヤ時代のものではないとわかる。解剖学的に「正し」すぎて、こうしたものを作る視線そのものが、近代以降のものだとわかるからだ。これらのうち二つを、かつてやはりヒューレット・パッカード社が分析したことがある。結果、マヤ的様式のものには、近代以降の研磨機で削った痕跡がはっきりと残っていて、古代のものではないことがわかった。もう一つのリアルな髑髏にはそうした痕跡はみつからなかったという。
考古学的遺物というのはねつ造の連続で、「神の手」氏だけでなく、発掘のスポンサーを得るため、あるいは虚栄心から、出てきたと嘘をつくことはよくあることのようだ。シュリーマンなども、知り合いから入手した遺物を、自分が発掘した遺跡から出てきたとして発表したりしていたようだ。オーパーツのなかにもそうしたものは少なくないかもしれない。
古代に飛行機があった、電球があったと言われると、納得するにはかなりハードルが高いが、アンティキティラの機械のような、継承されることなく失われた知識・技術というのは、あったとしても不思議はないと思う。科学的知識・技術は連続性をもって継承・発展していくという考えは近代以降のものであって、実際は、文明史にはたくさんの断絶があったはずだ。ギリシア・ローマ時代の多くの知的・技術的蓄積は、イスラム文化を経由してヨーロッパで「再発見」された。複雑な天文学的知識を有し、体系的な文字文化をもっていたマヤ文明などは完全にその知的遺産の継承者を失い、ヨーロッパ人が「新大陸」に渡ったとき、マヤの子孫たちは巨大な遺跡群を自分たちの祖先が作ったという意識さえ失っていたという。