幻想怪奇文学評論家の東雅夫さんの著書『クトゥルー神話事典』の装丁を、クラゲやヒトデやイカの図像と遺跡の写真を使ってイメージを作ってみた....というと、なんだか下手物大集合といった響きだけれど....。東さんには仕事だけでなく、私の本『巨石』のレビューなどでも大変お世話になっているが、ラブクラフトは短編を少し読んだ程度でクトゥルーに関してはほとんど知識がなかった。いくつか過去に書かれた絵のサンプルを見せていただき、ネットでもクトゥルーのいろんなイメージを見てみたが、顔は圧倒的にタコの形が多い。タコそのまんま、というものも結構ある。タコは...変な生き物ではあるけれど、日本人にとってそれほど怖いイメージはない。また世界で日本人ほどタコやイカを好んで食べている民族はいないのではないだろうか。現在日本で最も多く消費されている魚介類はイカらしい。これが西欧ではデヴィル・フィッシュと呼んだりして、禍々しいイメージがあるようだ。最近、私の仕事場がある池袋駅の構内で、タコを丸ごと鉄板に挟んで、姿焼きにしている店があるが、これなどさしづめ「悪魔のはさみ焼き」だ。
ロジェ・カイヨワの『蛸』という本を読んだが、タコにユーモラスな印象を与えている珍しい文化として日本の例が紹介されていた。北斎の有名なタコと湯女の絵なども掲載されていたように思う。映画『北斎漫画』では、樋口可南子にタコが絡みついていたが。あんな絵はタコを「悪魔魚」と呼ぶような人たちからしたら悪夢のような光景にちがいない。本では確か、タコにまつわる恐ろしげなイメージどのようにできあがり、誇張され、体系化されていったか、タコは自分の足を食べるというような俗説などを含めて紹介していたように思う。
ラブクラフトという人は海産物というか、海の中の生き物の世界に対する嫌悪感、恐怖感がとても強かったらしい。こんなウニョウニョ、ブヨブヨした連中が同じ地球上の生き物だなんて許せない、という感じだろうか。確かに、生きているのかどうかさえわからないような連中がわんさかいる。クラゲなどは考えようによっては不死というか、自らを再生するものがあり、地上に生きる生物とは違った論理で存在しているようにもみえる。
私にとって昔は海に潜っている時ほど、時間を忘れて楽しい時はなかった。学生のころはまだスキューバ・ダイビングのライセンスが手軽にとれるような環境がなかったので、素潜りだったが、二年続けて夏休みに小笠原の父島で毎日朝から夕方まで、ただひたすら泳ぐというか潜っていた。自炊の宿で朝握り飯を沢山作って一山、または二山越えた浜まで行き、ただ泳ぎ、食べ、また泳いだ。当時の小笠原には観光施設はほとんどなく、少し離れた浜にはほとんど人もいなかった。潜るだけだったが、全く飽きることがなかった。海の中にはわけのわからない生き物がたくさんいる。ありとあらゆる色彩と造形があって、面白くてしかたなかった。つぶさにみれば気色悪い生き物も多いが、そもそも生物はみな、どこか気持ち悪いところがある。
ドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルが20世紀初頭に出版した「Kunstformen der Natur」(自然の美的造形)は100葉の図版と解説からなる、生き物の様々な造形にかんする本だが、そのほとんどがクラゲ、ヒトデ、あるいは原生動物の仲間など、水中の摩訶不思議な生き物の様々な形の展示に費やされている。ラブクラフトが見たら嘔吐しそうな本なのだが、図版が実に繊細で美しいので、昔から観賞用として人気がある。いくつかはクロモ・リトグラフという多色刷りの石版画で、色も風合いも素晴らしくいい。アンドレ・ブルトンが「生きているシュール・リアリズム」とか言って絶賛したという話もある。著作権のない古い図版類をデザイナーやイラストレータ向けに安価で出版しているDoverからモノクロの画集が、Prestelという出版社からフルカラーの画集が出ているが、あまりにも好きだったので、数年前にオリジナルを衝動的に買ってしまった。それで、今回の東さんの本のデザインにも援用させてもらった次第だ。以下のサイトで、以前はかなり高解像度の図像が全て見られたが、今は主要図版の一部のリンクだけが残っているようだ。

http://www.zum.de/stueber/haeckel/kunstformen/natur.html



Art Forms in Nature (Dover Pictorial Archive) Art Forms in Nature: The Prints of Ernst Haeckel (Monographs)