月の周期/アウターへブリデス

lithos2007-02-06

国立天文台の渡辺潤一さんが、月刊『化学』二月号の自己紹介の欄で、拙著『巨石』を「最近感銘を受けた一冊」に選んでくださっていることを知り、とても嬉しかった。執筆中、月の軌道に関してどう訳していいものかわからないことがあり、編集部を通して質問させていただいたが、わかり易く、丁寧なご説明をいただき、本当にありがたかった。
巨石に関する英語文献にMajor Standstill, Minor Standstillという月の軌道に関する用語が頻繁に出てくる。月の軌道は地球の赤道面とずれているため、18.6年周期で変化し、また、季節によって月の出、月の入りの位置は異なり、夏の月は南寄りを、冬の月は北寄りのコースを通るが、この通り道の変化の幅が最も大きくなる年をMajor Standstill、最も少ない年をMinor Standstillと呼んでいる。スコットランド北東部特有の祭壇状の横石が置かれたストーンサークルは、この、Major Standstillの年の、最も南寄りに月が沈む方角に横石が置かれるなどの特徴が見られることから、遺跡を作った人たちは、月の動きに特別な関心をもっていたと思われるが、この二つのStandstillが、日本語の天文学用語でどう訳すべきものなのかがわからなかった。調べてもそれらしいものがほとんどなかったし、そもそもなぜ「止まる」という意味のStandstillという言葉が使われているのかがよくわからなかった。ネット上であれこれ調べているうちに、月の秤動と呼ばれる、月そのものがフラフラと上下左右に揺れ動く現象があることを知った。月はいつも同じ面を地球に向けていて、裏側の半分は見えないと思っていたが、実際はこの秤動のため、6割近くは見えているようだ。この細かい動きが止まって見える年がStandstillの年であるかのような記述をネット上でみつけ、一度は早合点しかけたのだが、これが大変な間違いだった。
元々、Standstillという用語は占星術などで使われていたものらしく、学術用語でそれに相当するものはないらしい。日本の占星術のサイトなどにも「今年は月が止まる年です」というような記述が多く、それを引用した掲示板に「私は天文学をかじった者ですが、月が止まるなんてことは断じてありません」「いや、秤動がなくなったように見える=止まることはあるのでは?」、というようなやりとりがあり、すっかりわけがわからなくなってしまった。「止まる」という訳そのものが間違いで、月の軌道は二つのStandstillの間を変化しているため、結局これは単に「行き詰まり」という意味だったのだ。
昨年はその18.6年に一度のMajor Standstillの年だった。この年の夏、スコットランド北部の緯度の高い場所では、満月が地平線のすぐ上の低い位置を動き、18.6年の周期中、最も南寄りに沈む。満月が沈むとき、祭壇状の岩の上に「降りる」かのように見えるように、石の配置を決めたのではないかと考える人たちがいる。サークルの中で火を焚き、暖められた岩の上に月がさしかかったとき、陽炎のように「踊る」ように意図されたのだろうと考えた人もいる(「蜃気楼文明」という、古代遺跡の多くは蜃気楼信仰のうえに作られたものだというユニークな説を展開したドイツの建築家がいる)。祭壇状の横石の前に白い石英片が敷き詰められていることがあるが、それは「月のかけら」を意図したものだろうと考える人もいる。いずれにしても、残っているのは大きな岩、火を焚いた形跡、石英のかけらというような「痕跡」だけなので、これらをどのように組み合わせて意味づけるかは、ほとんど想像でしかない。
ただ、これらの施設がどういうものだったか示唆する「歴史的記録」かもしれないものがある。それは古代ギリシアの文献に登場するヒュペルボレオイという名の、「北の果て」の国の話だ。ディオドロスは「ケルト人が住む地よりさらにの海にあり、シチリア島より大きな島で、アポロンに捧げた巨大な石囲いと円形の神殿がある」国としてヒュペルボレオイを紹介している。さらに、この島では、「月は地平線のすぐ上を動いていく」と記し、「春分の日からプレアデス星団が昇る時期まで、月は住民の弾くチターの調べに乗って踊り続ける」「神は19年に一度島を訪れる」「この遺跡には翼がある」とも書いているという。記述の通りの地理的条件を満たすのはブリテン島なので、「巨大な石囲い」と「円形の神殿」はストーンヘンジのことではないかと昔から言われていたようだ。だが、ストーンヘンジのあるソールズベリー平原の緯度では「月は地平線のすぐ上を動いていく」ことはない。そうした現象が見られるのはもっと緯度の高いスコットランド北部だ。スコットランド北部は月の動きに関連づけられているとみられるストーンサークルが数多くあるし、「神は19年に一度...」という記述の19年という数字がまさに月の軌道の周期の近似値であるため、18.6年に一度のメジャースタンドスティルの年に月が最も南寄りに沈むときに合わせて石の配置がなされた遺跡、特にアウター・ヘブリデスのルイス島にあるカラニッシュというストーンサークルのことではないかと考える人たちがいる。
ラニッシュのストーン・サークルはとてもユニークな形をしている。中央に円環をはめ込んだアイリッシュ・クロスのような形だが、細長い遺跡を縦長に見たとき、円形から左右両側にのびる石の列のことを「翼がある遺跡」と表現したのではないかと考えている人たちがいる。また、カラニッシュのサークルから北側に長くのびている列石の「アヴェニュー」を延長すると、メジャー・スタンドスティルの年に月が最も南に沈む方向に非常に近い角度を指すことがわかっている。さらに、地元の言い伝えにカラニッシュでは夏至の日に「Shiny one=光輝く者」がアヴェニューを歩いたというものがあり、伝説と符合するような要素が多いため、ヒュペルボレオイの「遺跡」はカラニッシュのことではないかと考えている人が少なからずいるのだ。だが、遺跡が作られた時代とギリシアで本が書かれた時代とでは2000年以上の時の開きがある。遥か遠くの国で行われた儀式の記憶がそれほど長く残りつづけるということが本当にあるだろうかと、ストーンサークルを専門的に研究している考古学者オーブリー・バールは書いているが、彼もありえない話として否定はしてない。「もしかすると、そんなこともあるかもしれない」というニュアンスで書いている。
19年前のメジャースタンドスティルの年、夏の満月の動きを少し放れた西側から見た人は、ちょうど月が遺跡のアヴェニューの中を進み、一度隠れ、再びサークルの中に現れたと記録している。この当時、この伝説に着目していた人は非常に少ないが、今は違う。昨年もかなりの人が見に行ったのではないだろうか。以下のサイトの運営者も、そのうちの一人だ。
http://www.astrocal.co.uk/callanishjourney/callanish2.html

ラニッシュのあるアウター・ヘブリデスの風土は独特だ。ブリテン島の西北の端に点在する島々を総称するヘブリデスという名はヴァイキングの「この世の果て」を意味する言葉に由来するらしいが、アウター=外へブリデス諸島はその中でも特に本土から遠い島々だ。大西洋から絶えなく吹き付ける強い風のため、木はほとんど生えない。ピート=泥炭質の湿地と湖と岩肌のむき出しになった山が連なる荒涼とした景観には人を拒むような凄みがあるが、同時に、純粋で深く心に残る美しさがある。カラニッシュのストーンサークルは最も大きな島ルイス島の丘の上にあるが、見晴らしもよく、とても気持ちのいい場所だ。ルイス島は「ルイスのチェスメン」と呼ばれる、中世のユニークな顔をしたチェスセットが見つかった島としても知られる。9年前に訪れたが、カラニッシュで過ごした時間は非常に印象深く忘れ難い。数時間を夕暮れの遺跡でぼんやりと過ごした。夕日が美しく、虹が架かった。他にほとんど人もいなく、静寂そのものだった。翌日の夜も一度は床に就いたが、再び車を走らせて遺跡の丘に上がり、日が沈むのを眺めた。この近辺では真夏の夜は12時近くまで明るいのだ。この島に行かなかったら、その後ブリテン島各地の遺跡を片端から見てやろうというような極端な旅を続ける気にはならなかったと思う。それほど、遺跡も周囲の環境も美しかった。
私のような外国人旅行者だけでなく、イングランドに住んでいる人たちにとっても、アウターヘブリデス諸島は非常に「遠い」場所であり、風土も文化も、かなりの距離を感じる場所のようだ。ケルト系言語であるガーリックが残っていることも、「異国性」を際立てている。住民は敬虔な人たちが多く、日曜は店も全て閉まっていてしんと静まりかえる。船も出ない(そんな日にパンクしてしまい、えらく苦労した)。アウター・ヘブリデスは近代に入って過疎化の一途を辿ってきたが、都会を離れて静かな場所で暮らしたいと願う人たちが移住するケースもある、その中にヴァシティ・バニヤンという、最近話題になっているシンガーがいるが、この人についてはまたあらためて書こうと思う。


(カラニッシュの遺跡に関する私のサイトの紹介は、以下の通り。)
http://www.lithos-graphics.com/stonecircle/callanish1.html