ヴァシティ・バニヤン日本公演

lithos2007-03-04

イギリスのシンガー・ソング・ライター、ヴァシティーバニヤンの来日公演にいった。10年前にはとても考えられなかったことだ。来日どころか70年にアルバムを1枚出したきり、完全に音楽業界と縁が切れていた人だからだ。そのアルバムというのも全く商業的に成功しなかったので早々に廃盤になっていて、今世紀に入ってから初めて再発された。再発盤のレビューには「マニアにとって、このアルバムを手に入れるのは聖杯を探し求めるかのような困難だった」と書いてある。「聖杯」は今はネットオークションで結構見かけるのだが、今でもオリジナル盤は10万以上の値段で落札される。日本では十数年前のカタログ本に写真入りで紹介され激賞されていた。こういった手に入る可能性がほとんど無いレアなアルバムを紹介する文章は、「僕は持っているのさ」という満足感に依っている部分が多く、ちょっと嫌味なのだが、そんなにいいというなら一度は聞いてみたいねぇ、と、嫁と話していたのが15年以上前だろうか。
ジャケットは藁葺きの古い農家の入り口に立つエプロン姿のヴァシティのそばに牛や馬の絵が書き添えられているもので、このジャケットの雰囲気の良さがアルバムのコレクターズ・アイテムとしての価値を高めている感もあった。
彼女は元々、60年代末にローリング・ストーンズのマネジャーの目にとまり「第二のマリアンヌ・フェイスフル」というキャッチでデビューした。このころのテレビ映像がYou Tubeにアップされている。アナウンサーが「ローリング・ストーンズが見つけた、可愛い子でーす」と紹介している。なんちゅう紹介の仕方か。にこりともせず、椅子に座って、か細い声で淡々と歌う。どこか虚ろな感じがこの時代のアイドルっぽいとも言えなくもない。
このプロモーションはあまり成功せず、本人も本意でなかったようで、彼女は音楽業界から離れ、スカイ島にあったドノヴァンのコミューン(キャンプ?)に参加するため、男友達と犬一匹と、雌馬一頭が引くごく小さな馬車で旅に出た。プロの歌手になりたいという気持ちは強かったようだが、商業的な展望もなく、業界人にあれこれ翻弄される日々に嫌気がさしていたようだ。
折しもイギリスのフォークシーンのアイドル的存在だったドノヴァンも大手のレコード会社の意向と対立して、コンセプチュアルなアルバムを発表していた頃だし、同世代が集まって共同生活する試みが様々に行われていた時代で、ミュージシャンであることと、コミューン生活を指向することが同時に語られて全く自然な雰囲気があったのだろう。
ジェファ−スン・エアプレインだって歌ってる。
「どこか田舎に農場を買って、レタスを育てて牛乳を搾って蜂蜜をとって.....干し草の上に寝転んでのんびり鼠やウサギと過ごしたいな。農場で暮らしてみたいな......」
ヴァシティーが目指したスカイ島は、アマゾンの紹介文では「アイルランドの」とあるが、これは間違いで、スカイ島はスコットランドの西北部にある大きな島だ。今は本土と橋でつながっている。ごくゆっくりした旅だったので、スカイ島に着くまで1年半もかかったらしい。着いたときにはコミューンはほぼ解散していたという。
この、馬車での道行きを歌にしてまとめたのが彼女の最初のアルバム「Just Another Diamond Day」だった。曲は旅を続ける中で、「自分自身を励ますようにして」つくったものだと、本人が語っていた。もうちょっと違った自分、もうちょっと違った生活を見いだせる場所が、街から離れた場所につくれるんじゃないかと旅をした人は彼女だけではなかっただろう。
彼女はスカイ島に行った後、一度都会に戻り、次にインクレディブル・ストリング・バンドのコミューンに参加し、その後、アルバムを発表した。
プロデュースはフェアポートやインクレディブル・ストリング・バンド、ニック・ドレイクなど、イギリスの新しいフォーク・シーンの誕生に大きく関わったアメリカ人、ジョー・ボイドで、バックにはやはりフェアポートのメンバーやロビン・ウイリアムソンが参加している。
ジョー・ボイドはケンブリッジ卒のインテリ・アメリカ人プロデューサーで、イギリスの新しいフォーク・サウンドの発掘に来ていた。イギリスに渡る前にはボブ・ディランが初めてエレキ・ギターをステージで弾いたニューポート・フォーク・フェスのマネージングもしていた。デビュー前のピンク・フロイドソフト・マシーンが出演していたクラブUFOの経営者でもあった。フロイドのデビュー・シングル「アーノルド・レーン」のプロデュースもしている。(70年代中頃には本国でジェフとマリアのマルダー夫妻、カナダの妹デュオ、ケイト&アンナ・マックギャリグルをデビューさせる。後にハンニバル・レーベルをつくる。他にも関わった作品リストを見ると、ニコ、ダグマー・クラウゼ、R.E.M., ....... なんだか好きな人たちばかり)。
ヴァシティのアルバムは、驚くほど素朴としか言いようがない歌ばかりだ。あえて言えば、最もメルヘンチックだった頃のドノヴァンの影響も強く感じられるし、ロビン・ウイリアムソンが歌ったらそのままインクレディブル・ストリング・バンドかな、と思える曲もあるが、今聴くと、これが大手のフィリップスから出たということがなんとも不思議な極めてパーソナルな作品だ。
声量にも乏しく、細く、少しかすれた、全く技巧的でない歌声は、初夏の日だまりの中で鼻歌を歌っているような、ナースリー・ライムのような、子守唄のような感じではあるが、なんとも言えない、巧まざる不思議な魅力がある。バックは当時のイギリスのフォーク・ロックのフロント陣だが、リコーダーやハープやマンドリンなど、アコースティックで抑え目のアレンジだ。野に咲く花の素朴な美しさを、余計な手をかけて損なわないように、大切に大切になされているというような感がある。
内ジャケットには異例とも思えるプロデューサーのジョー・ボイドの紹介文がある。「都会的なリスナーには違和感があるかもしれません。ですが、どうか心を開いて素直に聴いてほしい。私はこれほど、人生を、心を、そのまま率直に歌う人を知りません――」。いろんな意味で、希有な作品なのだったと思う。
アルバムは商業的には全く成功せず、業界的な反応も乏しかったようで、しばらくして彼女は歌手としてのキャリアを捨て、スカイ島のさらに西の沖にあるアウター・ヘブリデス諸島に移住し、それっきり......というのが数年前までの音楽書に載っていたストーリーだった。
先日の日記でも書いたが、アウター・ヘブリデスは、木もほとんど生えない、寒風吹きすさぶ茫漠とした土地だ。再発盤を聴きながら、この人はこの地に移住して、その後どうしてるんだろうか、今でも住んでいるんだろうかと思っていたが、デヴェンドラ・バンハートなどのアメリカのフリー・フォーク・シーンの担い手に評価され、再び歌うようになり、2年ほど前に35年ぶりに新しいアルバムを出した。
30年ほど島に家族と暮らし、音楽を聞く時間も少なかったという彼女だが、新しいアルバムは前作との35年の時間の開きが感じられないような、素朴だが初々しい魅力に溢れていた。Look Afteringというタイトルは、家と子どもの面倒をみてきた長い時間を指しているんだろうか、それとも自分自身のことだろうか。子どもたちの成長や暮らしぶりを淡々と歌っている。
島の暮らしから離れ、今はミュージシャンとして再び都市で暮らしているという。カムバックしてからの事情は知らないが、おそらく60歳くらいであろう彼女の、これは「セカインドライフ」などではなく、ソングライターとして自立したいという、かつて叶わなかった願いを再び実現しようとしているのだと思う。
今、35年前に比べると、比較にならないほど多くの新しい聴衆がいる。先週の日本公演でも、客の多くは20代-30代前半だった。「道がひらけて、日本に来ることができました」と語り、照れながら一曲ずつ丁寧に説明しながら歌った。デビュー・アルバムで聞いていた雰囲気そのままの素朴さ、可憐さに驚きつつ、かつて訪れたスカイ島やアウター・ヘブリデスの風土を思い起こしながら、約30年ほど、この人はどんな風に生きてきたのか、この後、歌手としてどう生きていくんだろうか、どんな暮らしぶりを歌うんだろうかと、いろんなことを考えたのだった。

(そういえば、ジョー・ボイドは最近、60年代末の音楽シーンを回顧する本White Bicyclesを出して、大変話題になっている。翻訳書の刊行予定はあるんだろうか。)


以下はスカイ島の風景


Just Another Diamond Day Lookaftering White Bicycles: Making Music in the 1960s