UFOの国会質疑と読んでみたい三冊の本

国会でUFOの質問なんかしてる場合なのか民主党は。しかもこの人は二度目だっていうし。これだけいろんな問題が噴出してるんだから、少なくとも今はUFOじゃないでしょ。
まだ読んでないが、読もうかなというUFO関連書籍が三つ。先ず唐沢俊一の「新・UFO入門―日本人は、なぜUFOを見なくなったのか」。
新・UFO入門―日本人は、なぜUFOを見なくなったのか (幻冬舎新書)
これは問いの設定として面白い。中身は日本のUFO関連の団体や出版事情などについて多くさかれているようなので、ちょっとずれるようにも感じられるが。アマゾンのレビューを見ると「日本人がUFOを見なくなったのは、未来を夢見ることができなくなったから」としているらしいが、もうちょっと掘り下げてもいいような気がする。何故第二次大戦後から盛んに目撃例が増え始めたのか。日本では70年代初頭、それもオイルショック以降に北海道などで大きなブームになったような印象がある。この頃既に「輝かしき未来・21世紀」のイメージには陰がさしはじめていた。70年代初頭までの、文化的・政治的激動を経験した後のある種の停滞期ともいっていい時代だ。ソ連邦末期、崩壊直後にも東欧各国で盛んに目撃例があがっていたように記憶している。メキシコではかなり継続的に目撃されている(つい最近もメリダで電柱の影から出てきた宇宙人に子どもが手をひっぱられたりしているではないか。はるばる宇宙の果てからやってきてメヒコの電柱の影に隠れねばならんとは、なんと過酷な任務なのか)。おかしなものが空を飛んでいるのを見てしまうということと結びついているのは、「夢」ではなくて社会不安、漠とした変化への期待、新しい秩序の登場に対する違和感、適応不能のような複雑な心理状態なのではないかと、なんとなく感じるのだが、誰か優秀な社会心理学者に分析してもらいたい。
こういう視点から、是非読んでみたいのだが、未読の本として稲生平太郎「何かが空を飛んでいる」がある。一部でかなり有名なのだが、長期品切れでずっとプレミアムがついている。アマゾンで1万円! なので、読みたいんだけどちょっと手が出ない。UFOを見るという現象と妖精や天使の目撃談、宇宙人による誘拐と人体実験を、かつて河童に引き込まれてしりこ玉を抜かれたという話などをひとつの俎上にのせて論じている、とても面白そうな本なのだ。
何かが空を飛んでいる
そもそもUFOの話が面白くなくなったのは、この分野が陰謀論一色に塗りつぶされていったこと、それと、こうした話を喧伝する出版社の編集者などがテレビに出てくるにつけ、アホらしさが否応もなく充満してくることなのだ。この分野を支えていたのは子どもたちであったわけだが、UFOは日本のテレビでお笑いのような分野になってしまっていて、子どもにも相手にされなくなってきた。それに陰謀論の大部分はあまりに硬直した世界観に覆われていて、本来不可知の物事を扱っていたはずの分野なのに、逆に狭苦しーい、想像力の貧血ともいっていい世界の中に全て押し込められているような感がある。聞いていて、楽しくないし、猜疑心ばかりがあおられる。
もう一つ、日本人がUFOを見なくなった原因は、ぼんやり空を見てるようなやつが少なくなったからではないだろうか。視線がかぎりなく下向きになっているし、そういう時間ももっていない。若い子らがあまり外で遊ばなくなっている。山にハイキングなどに行くと、もう年寄りしかいない。山の上で空などを見てると、なにかよくわからないものの一つや二つあるもんだ(?)。うちの娘もよく山の上に行くと、「あの光ってるのは何?」などとすぐに言いたがる。それに最近の大学生や20代前半の男の子は自動車を買わないし、ドライブにも行かない。購入台数が激減しているらしい。大学生とかがグループで遠出して、見晴らしのいい場所で、「おい、あれは何だ?」「どこ? 見えないわ」「あれだよ、あれ」「あ、本当、動いてるけど、何なの?」とかなるのが、定番なのに.....、家にいるんじゃUFOにもお呼びがかからないのだ。

もう一つ読んでみたいのが、スーザン・A・クランシー「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(早川文庫)。
なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか (ハヤカワ文庫NF)
アメリカ人は誘拐されやすいし、身体検査されやすいのだ。最初に「誘拐」の話が出てきたのはおそらくアメリカのヒル夫妻という、黒人男性と白人女性のカップルだ。ドライブ中に記憶がなくなり、2時間くらい空白の時間がある。「失われた時間」を逆行催眠で辿ると、異様な顔のエイリアンに....という話。今の定型である髪の毛の無い、目のデカイ、鼻は穴が空いているだけのエイリアンの顔は、この夫妻の話を元に書いた絵が最初と言われているようだ。この話を小学生の頃に初めてテレビで見たときは怖かった。自分の時間も失われたらどうしようかと.......別に二、三時間失われても大勢に影響はなかったとは思うが。このエイリアンの姿は実はテレビ番組に元ネタがあり、そのイメージが催眠状態の時に出てきたのではという話が、以下のサイトなどに掲載されている。http://www.nazotoki.com/hill.html

メキシコでの目撃談が継続して多いということも面白い。今年も確か軍関係の目撃談があったように思うし、冒頭に述べた「電柱の影から」みたいな話も多い。メキシコは昔から天使やマリア様の目撃例が非常に多い国だ。いろいろと不可思議なものを見がちな国なのだ。そもそも現在のカトリック信仰を支えているのが、グァダルーペの聖母の話だ。スペインに征服された後の1531年、フアン・ディエゴというインディオの男の前に褐色の肌の聖母が現れ、聖堂を建てるようにお告げをする。ディエゴの親戚の病気が治り、後にディエゴのマントに聖母の姿が現れたという話。このマントは今も「グァダルーペ教会」に展示されており、多くの参拝者を集めている。1991年に訪れた際には参拝者が多いため、マントの前は動く歩道になっており、立ち止まれない構造になっていた。聖母の瞳の中には驚くディエゴの姿も見えるのだという。ヴァチカンも認めている奇跡だったかと思う。聖骸布のようなぼんやりしたものではなく、しっかりした絵である。マリア様はインディオと同じ褐色の肌である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/グアダルーペの聖母
メキシコでは、病人が出たときに、あるいは災難に遭ったときに、など、いろいろな場面で聖母様の加護があった、お告げを感じた、あるいは本当に会ったというような体験を絵にして奉納する習慣があるが、この奉納画はレタブロと呼ばれていて、なかなか民衆画として味わい深いものが多い。古いものはコレクターによって取引されている。

UFOが面白くなくなったもう一つの原因は、これがいろいろなカルトによって奪い合いになっていることに他ならない。アマゾンでUFO、エイリアン、宇宙人などと入力すると、出るわ出るわ。

最後に、この秋に埼玉の高麗の近くの山道で見た変な落書き。同じものが離れたところに二、三あった。こういうガードレールにスプレーで落書きするような人というのは、暴走族なのかと思っていたが、UFOとは、あまりらしくない。しかも矢印。うーむ。そっちの方には山があるだけなんだが。矢印方向に山道を歩いていって、宇宙人が出るかもしれないぞと言うと娘がまじで怖がっていた。