マラソン大会と夢の島

土曜は娘が子どものマラソン大会に出るというので、夢の島の競技場に行く。マラソンといっても4年生は2キロなのだ。それでも、自分の子どもの頃のことを思えば、参加したがるというのが考えられないのだが。
マルエツとS&B主宰の東京都の大会で、4年の女子は参加人数が約200名強。自信のある子どもばかり集まっているのだから、そう簡単ではないだろうと思っていたが、予想よりもずっといい順位で入ってきた。満足しているかと思いきや、自分のイメージと大きく離れていたようで、レース後、極めて不機嫌に。どうも入賞くらいはするつもりだったらしい。おそるべき根拠のない自信。
1位になった男子など、「毎日6キロ走っています」というではないか。「将来オリンピックに出たいと思います」と。女子の1位の子も「私もオリンピックに....出ます」と。これはかなわない。


娘のレースを見終わって、大会終了まで、少し時間があったので、夢の島を散歩する。熱帯植物園を見学し、30年以上ぶりに第五福竜丸の展示館を見学した。当時慄然とした「東京の真ん中にビキニ型の水爆がおちたら.....武蔵野あたりに住んでいる人は蒸発」という図は既になかったが、水爆実験の歴史を説明するパネルなど、充実していた。第五福竜丸以外にも被爆した船が複数あったとは聞いていたが、思ったよりもずっと多く、驚かされる。水爆実験でうまれたゴジラの人形も置いてあった。関連書籍も多く所蔵・販売されている。
実験地周辺の住民が経験している苦難には想像を絶するものがある。
実験地から180キロ離れたロンゲラップ島の島民は実験の一週間前まで何も知らされていなかったという。避難もさせられていない。実験前にやってきた米兵が「お前達の命は、この指の先っぽくらいのものだ」と、親指を立てて見せたという話もある。水爆実験がどのようなものかも知らなかった島民は降り注ぐ死の灰を浴び、子どもは雪のようにかけあって遊んだという。汚染された島に住み続けた島民の多くが病に苦しみ、亡くなっている。85年になって島を離れ、未だに故郷に帰還できていない。