ビジュアル本いくつか

模様石の本を作るにあたって、石関連の本をいろいろ見ているが、最近読んだビジュアル本をいくつか。

ひとつは『あたまにつまった石ころが』という絵本で、20世紀前半の話。マサチューセッツに育ち、子供のころから石好きだった男性が、持ち前の才覚で小さなガソリンスタンドから始めて自動車部品の事業で成功するも、大恐慌時代にほとんどの財産を失う大変な苦労をし、石への愛着と関心を生涯失わなかったことにより、科学博物館で異例の採用をうけ、やがて館長にまでなるという実話を、実の娘が愛情を込めてかいている。ペンと水彩による絵がジェームズ・サーバーの挿し絵のような、懐かしいタッチで、まるで寓話のような物語とあいまって、いい雰囲気だ。
おそらく「石好きなら当然知っているでしょ?」という感じで言われるほど有名な絵本らしいのだが、最近まで知らなかった。

あたまにつまった石ころが

あたまにつまった石ころが

もうひとつは『すべてのひとに石がひつよう』という絵本で、これは復刊ドットコムのリクエストで昨年復刊された。これもまた知らなかったが、タイトルを見て、買わざるをえないかなと。「あなた自身の石の発見」を通して、自分自身の中に深くおりていき、他者、世界を感じようという、1974年という発表された時代ならではという感じの絵本だ。絵にはネイティブ・アメリカンをモチーフにしたような人物が出てくる。全体に精神主義的・ヒッピーカルチャー的なのだが、これがもうちょっと時代が下って堕落すると、パワーストーンの話になる。
似た感性による石の本というと、日本在住のイギリス人スティーブン・ギルさんが『たくさんのふしぎ』から出した「石のたんじょうび」だろうか。私のような石の外観ばかりに関心が深い者とはちょっと違う指向だけれど、ユニークな絵本なのだ。

すべてのひとに石がひつよう

すべてのひとに石がひつよう

昨年新書で出た澁澤龍彦のコレクションの写真と関連するテクストを編集した『澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド』に、いくつか石の写真が載っている。彼はコレクターではないので、特に面白いものはないのだが、やはり瑪瑙が好きだったようで、スライスの写真がある。この本には載っていなかったが、彼は水入り瑪瑙を持っていて、亡くなった後に奥様が見たら中の水が抜けていたという話を聞いたことがある。そのときは、どこか不思議なエピソードとして受け止めたが、売られている水入り瑪瑙というのはそんなものなのだ。私もこれまで大きな水入り瑪瑙を三つ四つ買ったが、全て水は無くなっている。瑪瑙は隙間だらけで、水入り瑪瑙として売られている鍾乳石状の瑪瑙のセクションは外皮こそ緻密だが、断面中央部は粗く、中の水はすぐに蒸発してしまう。瑪瑙は湿気の過多で模様もずいぶんと変わるもので、模様が薄くなったり濃くなったり、多きく変化する。海外から届いた瑪瑙の模様が変わることもあるが、日本の瑪瑙でも、久しぶりに取り出してみると全体にぼんやりしていた断面に、くっきりと縞が浮かび上がってくることもある。
本にはフィレンツェで風景石パエジナを買う下りがある。写真を見ると、楕円形に磨かれたパエジナは割れてしまったようだ。

澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド <ヴィジュアル版> (集英社新書)

澁澤龍彦 ドラコニア・ワールド <ヴィジュアル版> (集英社新書)

パエジナは16-17世紀のヨーロッパで珍重された奇石で、石に風景、あるいは廃虚となった都市のような模様が現れているのは、果たして偶然なのか、石化作用をもたらす気体によって周辺の環境が映し出されたものなのか、はたまた天地創造の下書きなのか、等々、様々な議論があったが、はじめてこれらの石を論じたのはアタナシウス・キルヒャーだった。キルヒャーは都市の姿が浮かび上がっているパエジナの絵を残しているが、それはどうみても単なる町の絵で、石の模様ではない。「こんなふうにも見える」だ。当時これを見た人たちは、本当にこんな絵のような石があるのかと多いに興味を持ったに違いない。

テームズ&ハドソンからキルヒャーの大判のビジュアル本が出たので、購入した。工作舎の本はA5版と小さいので、大きなサイズで絵を見たかったのだが、1頁大、見開きになっているものがほとんど無く、地学関連の図は工作舎のものより小さいくらいだった。

Athanasius Kircher's Theatre of the World

Athanasius Kircher's Theatre of the World

キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢

キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢