地震-21

週末、マスコミで一斉に原発で作業にあたっている東電や関連会社の人たちの「自己犠牲的」働きを美談として伝えていたが、違和感をおぼえる。犠牲を強いられているのであって、伝えるべきは犠牲を強いているのは何なのか、線量バッジも付けずに、アラームが鳴っても作業せざるを得ない労働環境とは何なのかということだろう。国のためにがんばっている彼らを応援しよう、ではなくて、非常食を食べ、施設内で雑魚寝をしているという酷い環境を強いている現状を改善させるべく働きかけるのが仕事だろう。先週東電の幹部は、現場の環境になかなか思いが至らなかったというような発言をしていたが、酷い話だ。海外で「フクシマ50」と言われているのはいいとして、国内で「爆弾三勇士」の現代版をやってほしくない。

先週、「そうだったのか」の池上氏の番組で、原発の排水口付近から高濃度の放射性物質が出ている問題を受け、こうなると、ここで採れる魚は大丈夫なのか、心配ですね。でも、この地域には今、漁業はありませんから、というようなことを言っていた。これも無神経な話だ。誘致にあたって漁業権を買い取っているわけだが、金を受け取るべきかどうか、代々続けてきた仕事を捨てるかどうか、それぞれの誘致場所では大変な葛藤を経ている。地域を二分する争いも生まれる。原発が誘致された後、安定した雇用(つまり、原発で働くということ)が得られるというのも、誘致の条件のひとつだが、ようするに、地元出身で原発で働いている人たちにはこの事態を受けて、選択肢はあまりないのだ。双葉町原発とともに生きる選択をし、これが今後廃炉になると、雇用は失われ、経済は成り立たなくなる。
マスコミにはこの機会に、これまでの原発労働がどのような環境下で行われて来たのか、被曝による被害を訴えてきた人たちがどれだけいるのか、きちんと伝えてほしい。

闇に消される原発被曝者

闇に消される原発被曝者