山田うどん問題について

北尾トロえのきどいちろう両氏が山田うどんについて熱く語っていたのは知っていたが、単行本まで出るとは。
私も三多摩国分寺育ちなので、幼少時から街道沿いの店舗など、家族で車で出かけるときによく見かけていたが、入ったことがなかった。
山田うどんファンにとって、60年代から今に至るまで、何か勘違いしているのか、単にほったらかしなのか、ずっと「山田」で押し通せていることが素晴らしいのかもしれない。「だって、『山田』だぜ」という感じなのかもしれない。だが、我々山田側としてはそう簡単ではない。
山田姓の子供にとって、この名字の凡庸さはかなり残念なことなのだ。おそらくほとんど全ての山田の子が「何故うちは山田なんだろう」と悩んだことがあるはずだ。鈴木、佐藤、田中、あるいは高橋、ましてや多くの場合新学期に後ろに座っている山本・渡辺などと比べたら大して多くない山田なのに、なぜ「記入見本」などは決まって「山田太郎」なのか。目にする度に凡庸度を嵩増しする不当な扱いを腹立たしく思っていた。名字の多さ全国12位でしかないことを、すでに小学3年生くらいに知ったうえでの有理の反感だ。
さらに中学に入ってみれば、生徒の名前を全く覚える気の無い技術工作の教師が全ての生徒を「山田三太」と呼ぶではないか。「おい、そこの山田三太!」という声があがる度にビクっとしつつもうんざりだった。
長じては独立して事務所をひらく際、知り合いのイラストレータに「山田デザイン事務所という名前だけはやめといた方がいいよ」と本気でアドバイスされる始末。山田という凡庸な響きを逆手にとったら個性的、というような変な勘ぐりをされるよ、という親切だったようだが、あらかじめ山田である私に「山田」の作用について講釈してほしくない。ウルトラマン仮面ライダーの主人公の名前が山田でありえないことは仕方ないとして、「ドカベン山田」「となりの山田くん」とか、没個性の記号のようにして扱うのはやめてほしい。
なので、わざわざ車ででかける際に、でかでかと「山田」と「案山子」を掲げる店が気にはなるが、あえて入ってみたいとは全く思わなかったのだ。きっと昨年亡くなった親父も最後まで言葉にはしなかったが同じ気持ちだったからこそ、一度も寄ったことがなかったに違いない、と考えたい。

自宅を離れてからはしばらく見かけなくなっていた山田うどんだが、十数年前に東村山に引っ越したら、これが完全に山田うどんのホームエリア内だった。本店は所沢らしいが、車で出かける度にあちこちで黄色い案山子マークを目にする。自宅の近くにもある。こんなにあるんだから、試しに一度くらい寄ってみるかという気持ちになりかかっていた頃、娘が学校で「山田ぁー、昨日山田うどんに入ったけど、まずかった。どうしてくれんだよ」などといわれのない非難を受けたという報告があり、すっかりその気が失せたのだった。

が、ついに今年、夜遅くに車で帰宅する途中一人で立ち寄ることになった。
私は立ち食いそば屋が好きだ。池袋の事務所に通っていた頃はほぼ毎日のように夕飯を立ち食いそば屋で済ませていたことがある。もちろん、店によって味に差があるのだが、蕎麦粉が2割しか入ってなくても、てんぷらがカチカチでも、熱い汁がかけてあればたいていはOKなのだ。とくに秋から冬の夜遅くなったとき、ささっと食べて暖まって家に帰れるという気軽さは嬉しい。
ところが、車で移動していると、うどんチェーンや「なか卯」はあるが、夜遅くまでやっていて、すぐに出してくれるそば屋がない。わけあって一時期自動車通勤を続けていた私は立ち食いそば屋に飢えていた。もしかして、山田うどんは街道沿いの立ち食いそば屋的なものなのか? 高速道路のサービスエリア的な感じかな、と。「うどん」と言いつつ、「ラーメン、カツ丼、カレー」とか掲げていることになんともいえないだらしなさを感じていたが、よく考えたら、これは立ち食いそば屋やSAではノーマルなことじゃないか、という思いで入ったのだが、うーむ。この店内、店員、そして肝心のそばと天ぷら全体を覆うやる気の無さはなんなのか。

西国分寺駅からドムドム・バーガーが消えたとき、私はついにグローバル化の波がここまで来たかと思った。それを考えると山田うどんがこの外食産業の盛衰激しい時代に、不可思議ともいえる敷地の広さを維持しつつ存在し続けているのは大変なことなのかもしれない。創業一族である山田さん(さっき知ったのだが)が、バブル期に「そろそろ山田でもないかもしれない」と思ったり、外国のデザイナーにCIを頼んだりしなかったことも不作為の作為として評価されるべきかもしれない。でも、ゆでたソバに天ぷらを乗せて熱々のだし汁をかけてたら、腹が減っているときはだいたい美味しいはずなんだが….。もしかして、うどん屋でそばを頼んだ私が悪かったのか。でも、『レポ』誌のサイトで、スパゲティーを出している店舗があり、それが「なんともいえない食感」だというレポートを読むにつけ、どういう事情があるとそうなるのか、やはり疑問なのだ。