タッシリ・ナジェールの旅 1日目

 今日からアルジェリアタッシリ・ナジェールの台地に約2週間の旅程で出発する。2018年の11月にもタッシリ・ナジェールの麓の壁画サイトを周遊したが、台地の上はリビア国境のすぐ近くであることから、長く観光客を受け入れていなかった。リビアは相変わらず内戦状態だが、国境付近の情勢は落ち着いていることからアルジェリア政府も受け入れることにしたようだ。2018年の暮れか2019年の年明け早々だったと思うが、一度開放したところ観光客の転落事故死があり、再び立ち入り禁止になったという話も聞いていたが、詳しいことはわからない。その後コロナの流行もあり、閉じたままになっていたようだが、2018年同様、ハンガリーアンドラス主宰のツアーで台地の上の主な壁画サイトを巡るものが予定されていると知り、参加することにした。

 今回は長くサハラの壁画を撮影してこられた英隆行さんとも一緒だ。アンドラスのツアーがあることも英さんから教えていただいた。英さんは10月初旬に壁画の写真展を東京で開催したばかりだ。高精細データを実物大にプリントしたものを展示する企画は本来2年前に開催する予定だったが、コロナ禍で延期されたいた。私は京都で開催された際に見ていたが、今回もあらためて見学。やはり実物大は迫力がある。イヘーレン様式の壁画もアンリ・ロート隊の複製画と見比べられるように展示されていて、前回よりも少し知識が増えたこともあり、見ごたえがあった。

 アルジェリアはあいかわらず個人旅行を受け入れていないので、ビザの申請が大変だ。日本人は原則、いくつかの指定された旅行代理店のツアー参加だけが認められているのだが、アンドラスのツアーはアルジェリアの旅行代理店が催行する形式になっている。この代理店が本国で手続きをして、政府の観光部門から外務省経由で大使館に連絡が来てはじめてビザ申請の手続きができる。前回は1ヶ月半以上かかった。英さんは大阪在住なので、私が二人分手続きしたのだが、今回は拍子抜けするほど早く連絡が来て、難なくビザが発給された。

 ビザも心配ではあったが、今回最大の懸念は体力的なことだった。タッシリの台地の上へは車などは入れない。徒歩で約700メートル上がって、台地の上はトレッキングのツアーだ。旅程表を見ると最大一日15キロ以上歩くようになっている。荷物はロバが運んでくれるのだが、もともと運動不足なのに加えて、今回は8月に腎臓結石の手術で入院したこともあり、すっかり足が萎えてしまっていた。

 入院そのものは5日ほどのもので、手術も大したこともなかったのだが、事前に尿路にステントという管を入れ、内視鏡手術がしやすくなるように必要があった。約2週間前にこの処置をして手術に臨むのだが、ちょうどコロナの第七波の流行のピークと重なってしまい、予定の日に入院できず、帰されてしまった。前の週に娘の職場で感染者が出て、娘も陽性反応が出ていた。約5日接触を避けていたので問題無いかと思ったのだが、もう1日非接触でないと規定にひっかかるとのこと。手術は2週間延期になってしまった。

 仕方ないので空き屋になっていた国分寺の実家に一人で泊まることにしたが、この延期分の2週間は痛みと頻尿で横になっている時間が多かった。退院後はすぐに歩き始めたが、手術前の約4週間全く歩いていなかったため、4、5キロも歩くとがっくり疲れるまで筋力が落ちている。この後、2ヶ月弱でどこまで筋力を回復できるか、毎日荷物を背負って少しずつ距離を延ばして回復につとめたが、10キロ近く背負って10キロ歩くとかなりいっぱいいっぱいで、毎日10〜15キロ以上、10日間続けて歩くとなるとまだ不安だった。アンドラスは「70代以上の人が大勢いるんだから、何の心配もない」と言うのだが。

 ドバイ経由で向かったが、成田空港は夜8時過ぎるとほとんどの店が閉まっている。コロナの影響が続いているのだが、とても国際空港とは思えない雰囲気だ。空港で薬や身の回りの物を買おうと思っていた人はかなり困るに違いない。

 日本は帰国時に72時間以内のコロナの検査で陰性証明をもらわないと入国できないようになっていた。航空券を予約した際にもまだこの規制が続いていたので、仕方なくドバイで一日検査のためにとってあったが、その後10月から撤廃された。

 ドバイはもうコロナなど関係ないかのようにギラギラだった。ドバイまでの機内も途中まではマスクしている人も多かったが、もう誰もしていない。

 

ドバイ空港

 アルジェに着くと、アンドラスが待っていた。アルジェ空港は様子がかなり変わっていて、待ち合わせに指定した店も無くなっていたのだ。他のメンバーとも合流。今回は久しぶりのタッシリ開放とあってか、かなり人数が多かった。以下の通り。

ハンガリー人のアンドラスと奥さんのマグダレーナ、ベルギー人のクーン、ポルトガル人のジョアンナ、スコットランド人のローマン、ドイツ人のハンスとペトラ、カナダ人のミシェル、アメリカ人のマイケル、フランス人のジャック、ジャン=ピエール、ジャン=ロイク、そして日本から英さんと私の計14人。ツアーは前半と後半に分かれていて、前半がタッシリの台地、後半は私も前回参加した麓のタドラートなどを車で巡る日程だった。私は前半だけで帰国する。

 空港に着いたときは、アンドラスの他、まだ3人しかいなかった。今回はフランスの壁画研究の重鎮が参加すると英さんから聞いていたが、名前を憶えていなかった。3人のうちひとりに挨拶した際、小さな声で「...君は私を知っているかな?」と。見たところ70代後半から80歳くらいだろうか。痩せた眼窩の奥に鋭く光る目を見て、「これが重鎮に違いない!」と思って、「はい、お話は少し伺っています...」などと返事したが、違った。彼はドイツ人のハンス、83歳で壁画が好きで旅を繰り返していて、元は会社経営者だったようだ。

 夜になるとパリ経由で来た英さんも含めてメンバーも揃い、アルジェからタッシリの麓の町ジャーネットまで国内便で飛ぶ。宿に着いたときはもう2時をまわっていた。新しい道路が多くできるなど、町がずいぶん変わっているようだ。宿は前回同様、ツアーを催行している旅行会社の宿だ。こちらも少し新しく装飾されるなど雰囲気が変わっていた。タッシリの立ち入り禁止とコロナでかなり厳しかっただろう。代表のアブドゥーが「よかったら、国に帰って宣伝してね」と。彼は前回の旅では運転手をしてくれたのだが、英さんによれば地域のトゥアレグの名家の出身とのこと。

 

ジャーネットの宿