ユタ・アリゾナ壁画紀行 9日目

朝早くコーテズの宿を出て、メサ・ヴェルデに再び入る。メサ・ヴェルデはかなり標高が高く車で上がっていくとどんどん霧が深くなっていった。これは上で何も見えないのでは? この日は朝一番早いツアーで崖沿いの最大の住居跡「クリフ・パレス」と、「バルコニー・ハウス」に続けてツアーで入る予定だが、早い時間にしたのは失敗だったのでは? ツアーはどちらもきっかり二週間前から予約開始で、人数もかなり絞られているので、発売開始の日は時計をみつつスタンバイしていた。すぐに完売してしまう。

気温もかなり低く、ダウンジャケットを着てツアーの待ち合わせをしているうちに、幸い天気も良くなってきて、霧もすっかりはれた。

クリフ・パレスは建物の中にも一部入れるのかと思ったが、近くから見るだけだった。触ることも基本禁止で、保護にかなり神経をつかっている。メサ・ヴェルデの住居跡の特徴はキヴァと呼ばれる半地下の円形の施設があることだ。土でできたドーム型の屋根をつけ、中を煙でいぶすような構造になっている。宗教的な儀式に使ったと考えられている。建築は遠目には日干しレンガのように見えたが、石を四角く切り出したブロックで作られていた。堅牢な作りで四角い建物の角などもきれいに仕上げてある。

 

 

バルコニー・ハウスは名前通り、バルコニーにようにせり出した部分のある施設だ。用途については謎も多いようで、壁で隔てられた二つのスペースに分かれていて、片方は選ばれた人たちだけが入るようになっていたかもしれないと。出入りにはかなり急な梯子や岩に刻まれた階段を上り下りする。これを子どもを抱いたり、収穫したトウモロコシなどを負って上り下りしていたということが本当に信じがたい。

入る前に先住民のレンジャーの男性が、「自信の無い人はやめてください」と。実際、これはお年よりや体重がある程度以上多い人には無理かなと思った。落ちたらそのまま谷底でセーフティネットは無いからだ。

 


これらの住居は1300年頃に放棄された。直接的な原因ははっきりしていないが、13世紀末に干ばつがあり、山の上で作物がとれなくなったことが原因というのが有力な見方だ。山を降りてより低い場所で暮らすようになった人たちが現在のプエブロ・インディアンの祖先になったわけで、メサ・ヴェルデを自分たちの祖先の地として考えている部族は複数あるという。このことをして、アナサジ族というのが忽然と姿を消したかのように言われることがあるが、人が消えたわけではなく、住居を放棄したということだ。フリーモント文化も1300年頃を境に消えているというし、天候不良が数年続いたことで、文化的・社会的枠組みが大きく変わったのではないだろうか。イギリスのストーンサークルが天候不良による農業の壊滅的被害による大きな社会的・文化的変動によって生まれた可能性があるという話を思い出した。

メサ・ヴェルデはロング・ハウスという住居跡も見たかったのだが、アクセスの道のダメージか何かでこのエリアは入れないということだった。

この日は400キロ西にあるペイジに行かねばならない。急いで山を降りて昨日来たハイウェイを戻る。まずいことに一昨日あたりから昼前後に猛烈に眠くなるようになった。居眠りしそうなのだ。本当に恐いので、迷わず仮眠することにしていた。前日もBaby Rockと名づけられた奇岩のある場所で仮眠したのだが、この日も同じ道を逆方向に走って、眠くなってきたと思ったら同じ場所だった。何かある。