ユタ・アリゾナ壁画紀行 11日目

この日に行く大きな木の化石がごろごろしている砂漠、ペトリファイド・フォレストはペイジから東約380キロの場所にある。さらに翌日はラスベガスに戻る必要があるが、この移動距離が600キロにもなってしまう。たいへんだが、決めた以上は仕方ない。

東へ向かう40号線沿いの町ウィンズローの南にはその名もロックアート・ランチという牧場がある。敷地内の渓谷の壁面におびただしい数のペトログリフがある場所で、とても興味があったが、一日一回、朝出発するツアーに参加しないと見学できないことになっていた。しかも週の後半しかツアーを行っていない。これは無理だなと予定から外していたが、ダメ元できいてみようと、朝宿から電話してみた。パンクの件で、電話にも少し抵抗感が無くなっていたのだ。

ツアーは水曜以降だというので、「私は明日日本に帰国してしまうので、そうなると今回は無理ですね。残念ですが。」というと、「うーん、そういう都合なら、来てもいいよ」と。これは嬉しかった。通常なら牧場内の開拓時代の古いものや先住民の遺物を見てもらって、それから壁画のある所まで連れて行くんだけれど、牧場のツアーは無しでよければと。もちろんです、最高に嬉しいですと、その日の昼過ぎに行く約束をして出発。居眠りだけが心配だったので、モンスターを売店で買っていく。こちらはモンスターがすごい種類売っているのだが、どれがどうなのかさっぱりわからず。定番の緑色のものを買う。

ロックアート・ランチの位置はフェイスブックに地図がアップされていたので、それを見て行くのだが、Google Mapで検索したものと同じルートだった。Google Mapは本当に使える。

約束の地点に行くと、道端に停めた古いトラックの中で高齢の牧場主が犬と一緒に寝ていた。起きてもらって谷に降りる道へ案内してもらう。

展望台があり、主なペトログリフの写真が掲示してあった。主人は、娘さんが日本で英語の教師をしていたことがあり、そのとき自分も東京に行ったことがあると。みな親切でいい人たちだったよと言う。それもあって、明日日本に帰るという私を入れてくれたのかもしれない。

 「川の両側にずっと絵があるから、好きなだけ行けばいい。ただし帰るときはゲートを閉めて一本電話を入れるように、これまで4人行方がわからなくなってるからね」と。「行方不明ですか?」主人がニヤッと笑う。時間があったら牧場に来てもいいよ、先住民の遺物や初期の入植者の記録など見せてあげようとも言ってくれた。どちらにしてもとくかく一本電話を入れるようにと。

主人が帰ってから谷に降りる。たしかに両岸の岩に数多くの絵がある。それに、かなり古そうにも見える。岩肌は例の「デザート・バーニッシュ」で真っ黒に焼けているのだが、ペトログリフの削られた部分もかなり黒くなっている。


好きなだけ行けばいい、と言っていたが、少し進むと川岸がなくなって先に進めなくなった。そういえば主人が「泳いでもいい」みたいなことも言っていたっけ。誰もいないから裸になれば泳げるけれど、カメラはドライバッグがないと無理だ。

静かでとてもきれいな場所だった。また来る機会があったら、是非泳いで先まで行ってみたい。

3時間近く谷にいたが、門を閉めて戻ることに。主人は牧場も来たらと言ってくれたが、できればこの日中にペトリファイド・フォレストに行きたかったので、留守電に礼を入れて先に進む。

 

 

ペトリファイド・フォレストに行こうと思ったのは、石が好きだからというだけでなく、昔私の家族が来たことがあるからでもあった。ペトリファイド・フォレスト、隣のペインテッド・デザートという単語を母親の口から何度も聞いていたし、二歳か三歳だったはずの私もかすかに憶えているところがあった。それは姉が小さな色とりどりの小石を買ってもらい、それを羨ましく見ていたというような場面だ。着色した瑪瑙だったかもしれない。

 姉がペトリファイド・フォレストで大きな珪化木に座っている写真がある。いつもの姉らしく、なんだか気のうかないような顔をしている。この写真が撮られた場所をみつけてみたいような気がしたのだ。姉も父も亡くなり、母親もほぼ記憶を無くしつつある今、ほとんど憶えていない私が行ってみたところで懐かしさも何もないのだが、家族の記憶の供養のようなつもりで、撮られた場所を確認してみたくなった。

 

 幹線道からペインテッド・デザートへの道に入り、大きな土産物屋に入った。色褪せた看板をみると、昔からやっていそうな店だ。ここなら何かわかるかもしれない。珪化木の塊を買って、店員の女性に写真を見せてみた。

「それならレンジャーに聞けばいいと思う」と素っ気ない答えが返ってきて、やや肩すかしだった。

ペインテッド・デザートは珪化木を守るためだと思うが、ゲートが閉まるようになっている。そろそろ入場が終わる時間だ。急いで公園内に入り、ビジターセンターへ入る。店員に尋ねてみた。やはり、それならレンジャーに聞いたほうがいいと。レンジャーの女性が来るのを待って尋ねるが、はっきりした答えはかえってこなかった。写真には特徴的な丸い山が写っているので、すぐにわかるかと思ったのだが、そういうものでもなかったか。ビジターセンターの裏手には遊歩道があり、珪化木が点在する丘をぐるりと回ることができるようになっている。

「もしかすると、この裏の丘を反対側から見たのかも。そのエリアは今は立ち入り禁止だけど、昔は入れたのかもしれない」という。丘に登り、少し反対側に降りてみた。写真に写っている山とは形がかなり違うように見える。60年も経てば、地形も多少は変わるんだろうか。観光客が記念写真を撮る場所はそんなに多くないだろうから、それがわからないと言われてしまうと、もう無理なのかなとほぼ諦めて先へ進んだ。

 


ペトリファイド・フォレスト内の道路は一本で北側の幹線道に抜けるようになっている。さらに公園の奥へと進んだ。しばらく行くと「クリスタル・フォレスト」という名の看板があり、駐車場がある。この名前にもどこか聞き覚えがあった。降りてみると、すぐ近くに小さな丸い丘がある。この丘が写真に写る山だった。遠い山のように見えていたのはすぐ近くの小山だったのだ。広角レンズのなせるわざというか、写真独特の遠近感が作り出したイメージだった。角度を変えながら少し歩いてみて、間違いなくこの場所だということを確認した。ただ、姉が座っていた珪化木は同じものが見当たらなかった。60年も経てば動かされたり、持ち出されたりしていても不思議はない。

アリゾナの道はどこまで行っても平坦で、背の低い草が生える同じ風景が延々と続いている。小さな頃、こういう風景がテレビの映画などで映ると、記憶の底をまさぐられるようななんとも言えない気分になった。明け方早く目が醒めて、小窓から入る光などぼんやり見ているとき、こうした風景が浮かんできて、懐かしいような気持ちになることがあった。60年前にこのへんを家族で旅したとき、車の窓から見た景色なのかもしれない。

 

 

そのまま公園内の道を北に進み、最後に公園内のペトログリフを見る。ユタにあるものと同じニューズペーパー・ロックと呼ばれる石がこの公園にもあるのだ。これは崩落した岩塊に刻まれたもので、おそらく絵がかかれたときにはもう少し上の場所にあったものが割れて崩れ落ちたのだろう。今は近くに行くことはできず、離れた場所から望遠鏡で見下ろすようになっている。これがなかなか面白い絵で、タッチがメサ・ヴェルデのものとどこか似ている。既にかなり暗くなっていて、200ミリに2倍のエクステンションをつけても足りないくらいだったので、なかなか厳しかったが、撮影して公園を出、ホルブルックに予約していたモーテルに泊まった。