ユタ・アリゾナ壁画紀行 12日目

最後の日、16時半にレンタカーの返却だが、計算では3時間くらいは余裕がありそうなので、もう一度ペトリファイド・フォレストに入る。園内に「アゲートハウス」という、珪化木で作られた先住民の住居跡があるのだが、昨日は通り過ぎてしまっていた。

 


アゲートハウスへの歩道は、園内に入って間もない、ヴィジターセンターのすぐ近くから始まっていた。写真は見ていたが、実物はなかなかの存在感だ。珪化木を間に粘土を入れて積み上げて作ったもので、11-13世紀のものだというから驚く。たいへんな重量だと思うので、よく崩壊せずに残ったものだ。この土地特有のレインボーカラーの美しい珪化木で、こんなものは世界のどこを探してもないだろう。最も贅沢なログハウスとも言えるかもしれない。

公園を縦断する道に入ったのだから、戻るよりは先に進んでしまった方がいい。昨日暗くてなかなか写真撮影が厳しかったニューズペーパー・ロックを再び撮影した。この壁画はなかなか見ごたえある。高台から望遠鏡で見るような形でなく、近くまで歩道を作ってほしい(柵などを越えていたずら書きするバカも出てくるだろうが)。

あとは40号線をひたすら西へ進むだけだ。

 

 

途中、もう一ヶ所だけ寄り道したいところがあった。ウィンズローの西30キロほどのところにあるバリンジャー・クレーターだ。こちらではメテオ・クレーターの名で呼ばれているようだ。直径1.2キロ、深さ約200メートルのきれいな円形のクレーターは、5万年前の隕石の衝突によって出来たもので、これを隕石の衝突痕と見極め、土地ごと買い取ったダニエル・モロー・バリンジャーの名前をとって長らくバリンジャー・クレーターの名で知られてきた。日本では今でもこの名の方が通っている。

 

 

バリンジャーはクレーターの下から隕鉄が大量に出てくることを期待して購入したが、結局ほとんど何も出てこなかったという話も有名だ。失意の中、投資家たちに発掘の中止を連絡し、その翌日に心不全に亡くなっている。衝突の衝撃と熱でほぼ蒸発してしまったというのが現在の見方のようだ。アポロ計画の宇宙飛行士たちが、ここを月面にみたてて宇宙服を着たトレーニングを行ったということでも知られている。

クレーターは高速道路から比較的近く、すんなり到着できたが、立派な資料館があり、なんと入場料が3500円くらいした。映画上映やツアーの代金も含まれるのだが、私のようにちょこっと寄ってクレーターだけ見て帰る人にはちょっと高い。

クレーターはたいへんな迫力だったが、いかんせん時間が押していたので早々に後にして再びひたすら運転。モンスターを二本飲んでしのいだ。

 

なんとか返却予定時間の16時半を数分過ぎたくらいでラスベガスのレンタカー返却ゲートに入る。パンク修理の領収書を渡すなどして手続き完了した。

12日間で4690キロ走った。一日平均400キロで、毎日自宅から仙台までよりも多い距離を走っていたことになるわけで、やはりちょっときつかった。

アリゾナニューメキシコには壁画サイトがまだまだたくさんある。全てみてやろうとは思わないが、是非また南西部を訪れたい。