インド 地上絵・壁画撮影行 その2

朝6時に宿に車が迎えに来た。

現地の旅行会社に手配してもらったものだ。高めな代金を少しでも安くしようと小型車にしようかと思ったが、途中で撮影に使う脚立を買うと伝えると、ワンボックスでないとそれは積めないと言われ、結局大きな車にせざるをえなくなった。それにしても6時とは。ラトナギリには8時間以上かかると言われていたけれど、7-8時でもいいのでは?

はじめは位置情報をたよりに一人で回らざるをえないかと思っていたので、運転手は英語が話せる人をお願いしたいと念をおした。現れたジテンドラ氏は40代後半くらいだろうか。英語が話せるとまではいえなかったが、最小限のことはやりとりできた。南へ250キロ以上移動することになる。

宿は朝食付きだったのだが、6時ではそうもいかない。それにしても、部屋を出てフロントに行くと、フロント前のソファや床に2人が毛布にくるまって寝ている。夜勤ということなんだろうけど、こういうのは初めてみた。同じ光景を他の宿でも見ることになる。

しばらく道を走って朝食を食べようということに。何を食べる?というので、よくわからないけど、軽いもの、と、街道沿いの食堂が並ぶ場所に入ると「サンドイッチ」の文字が。「サンドイッチでいいよ」というと、「サンドイッチね...」と言いつつ店に行き、「まだやってないって」と。

 


またしばらく道を走り、食堂が並ぶ場所に入り、「まだだって」と言いながら帰ってくる。ちょっと待って、中で食べてる人いるみたいだけど?というと、「サンドイッチはまだできない。●●とか××しかやってない」というので、サンドイッチじゃなくてもいいから、と、店に入ってみると、揚げパンみたいなやつとかいろいろ並んでいる。サモサ、の文字が。これは知ってる気がする。

サモサひとつ20ルピー(40円弱)。これはコンビニで肉まんを一つ買うくらいの感覚か。甘いチャイとサモサで朝食にする。おいしい。でも私にはやっぱりちょっと辛い。

 

 

地図で見たときはわからなかったが、道は山あいの標高の高いエリアに入っていく。ムンバイはかなり蒸し暑かったが、山間地は車から出ると肌寒い。

ジテンドラは前に車がいると必ずクラクションを激しく鳴らして追い越していく。どんなに道が細くてもだ。前方から車が来ていてもぎりぎりで追い越していく。時間はたっぷりあるのだから、そんなに無理せんでもと思うのだが、これはごくあたりまえの運転のようで、クラクションを鳴らすのも、自分の車が近づいていることを報せる意味もあるようにみえる。前を走っているトラックの後部に「警笛を鳴らせ」と書いてあったりするので。それにしても、始終ビービーやられると乗っている方もだんだん疲れてくる。インドでは車で静かな旅というのは無理なんだろうか。

 

 

昼食。インドは食堂が多い。

ジテンドラに「俺、辛いものが苦手なんだ」と言うと、これは辛くないと魚(サワラ)のフライとカレーに。付け合わせに生の紫タマネギがついてくるのが定番らしい。これに塩をかけてカリカリしながらカレーを食べる。全く詳しくなかったが、日本のインドカレー店で定番のナーンは南インドのものらしく、ここではチャパティという薄くのばして焼いたものが普通で、これに豆の粉を薄くのばしてぱりぱりに焼いたり揚げたりしたパーパドというものがつくことがある。そして普通は最後にライスも頼んで大皿の上に全部ぶちまけて手でまぜまぜして食べることに。この右手だけでうまく食べるのが初心者には難しい。

「難しいね」というと、「なんで? 自分の手でしょ?」と。そりゃそうだけどさ。

「全然辛くない」と言われたが、やっぱり辛いじゃないか。日本のカレーの辛口よりも少し辛いくらいだ。魚のフライも辛くなっている。

食後はすすめられるまま、ソルカディというココナッツミルクとコカムという酸味のある果実を混ぜたピンク色のジュースを。これにもクミンみたいなスパイスが入っている。ココナツミルクに酸味を足したようなかんじだ。私はこの段階ですでに、スパイスが入ってないものがほしい....という気分になっていた。

 

 

朝6時に出たため、少し時間に余裕ができ、ラトナギリへのルートに近い地上絵サイトにひとつ寄ろうかとういうことに。Niwaliというサイトがルートに一番近いのだが、ここは正確なポイントがわからなかった。Google Mapに投稿されていた写真と、Google Street Viewとを照合して、このへんだろうというポイントに印はつけておいた。インドは幹線道でなくてもGoogle Street Viewで見られる道が多く、ここも細い道だったが映像が見られたのだ。だが、それらしい場所にも見当たらない。道路沿いにあるはずなのだが...。

道行く人に尋ねても、そういうものは知らないと。これはよくあることだ。先史時代の遺跡などに地元の人はほとんど関心がないということは少なくない。スコットランドで見事に大きなCup and Ring markの壁面を探していたときも、近くにいた男性に尋ねたが、ずっとここに住んでるけど、そんなの聞いたことないと言っていた。南アの手形がたくさん押された洞窟も、「このへんに何度も来ている私が知らないということはそういうものは無いということだ」的なことを確信持って言われた。いずれもすぐ近くにあったのだが。

枝道がある。この細い道沿いにあるのかもしれないから入ってみよう、というと、ジテンドラが、うーん、と渋る。わかんないよ、明日以降ガイドと一緒に来た方がいいと。

こんなに近くに来てるのに、枝道にひとつ入るのも面倒くさいの? これは彼と二人きりの旅になっていたら、なかなか難しかったかもしれない。後でわかったことだが、この枝道にちょっと入ったところにあったのだ。

じゃ、少し遠い場所にもう少し場所がはっきりわかっている所があるけど、そっちにする? 往復1時間以上かかるけど、というと、その方がいいと。よくわからないところをうろうろするより、遠くまで運転する方がいいということか。よくわからない。

北上して、Dewood村にある地上絵を探しに。これははっきりと位置がわかっていた。道路沿いの遺跡の周囲に石の壁が作ってある。この石壁の上から見ると、絵の全体がよくわかる。全長5メートルほどもある大きなサイの絵がある。鹿、クジャクのようなフォルムの鳥、人の足型(指はない)、二頭の肉食動物らしきもの。片方は再訪したときにハイエナだと説明され、納得した。背の毛の逆立ち具合など、確かにそれらしい。

昨年のコロンビア行きで、Goproで360度動画を撮るために買った長い自撮り棒の先にレンタルしたソニーの高級コンデジをつけ、高い場所から撮影した。スマホでプレビューを見ながらリモート撮影できる。思った以上にうまくいった。これで脚立の上に乗ってやればかなりの高さが得られる。

 

 

この日はこのサイト見て終了。あとはラトナギリ市内に入って宿に行くだけだが、翌日からガイドをしてくれる地元の考古学者アプテ氏と連絡をとって打ち合わせをする必要がある。ジテンドラが電話をしてくれた。彼は「ホピス」にいるので、そこに行って話すことにすると。「ホピス」はどうもオフィスのことのようだった。

着いてみれば、そこはコンカン地方の地上絵のリサーチ・センターだった。そんなにしっかりした組織があったとは全く知らなかった。ルートウィッジ・アプテ氏と、コンカン地方の地上絵の記事やYouTubeでよくみかけていたセディール・リスブッドさん、若い考古学者ラグナート・ボキルさんが出迎えてくれた。昨年、政府の資金援助が決まり、設立されたのだという。コンカン地方の独特な地質的特徴を示したジオラマやパネル、同エリアで発見された打製石器などが展示されている。

驚いたのは、南北約170km、東西約25kmの細長いエリアに50を越える地上絵のサイトがあり、刻画の数は1000を越えるということだった。地名がネット上で紹介されているものを全部見られるかどうか考えていたが、そんなのはほんの一部でしかなかったのだ。

このエリアはラテライトという鉄分を多く含む硬い地層が深く、風化に強いため、四角く切り出してそのままレンガや舗石などの材料に使われている。ラテライトの岩盤の上は土壌がとても薄く、雨期には激しい雨で洗い流されてしまうため、畑(ほとんどないのだが)などはやはりラテライトの塀で土が失われないように囲われている。細かい穴がたくさん空いた岩で、この穴に細い草が茂っていて、この草が地表の刻画を保護する役割をもっていたとも考えられているという。打製石器以外の石器や土器片や、埋葬跡などの考古学的遺物は全く出てこないのは、雨期に海へと流されたものが多いこともあるのかもしれない。

 


翌日から私は若い考古学者のラグナートくんを案内人に遺跡を回ることになった。

この日の宿は最初は町からかなり離れた海岸沿いのホテルを用意すると言われていたが、ずっと町から離れた所にいるのも面白くなかろうと、町中にあるものに換えてもらった。

ジテンドラが「ここはいい宿だぞ。料理が旨いぞ。エビがおいしい。エビ料理にしないか。」というので、「いや、晩ご飯は特にいらないんだ。普段もあまり食べないんだ」というと、びっくりして、「食べない? なんで? 何か食べた方がいいだろ」と。

ツアー代節約のためもあり、「ディナー」とか無くていいと断ったのだ。だいたい外国で「ディナー」とかいうと量が多くてしんどい。私としては辛いもので疲れてきたこともあり、屋台で果物を買って食べて、あとはビールがあれば十分なのだが、彼はそんなのダメだと力説。

仕方ないのでオムレツを頼んだら、これがやはり青唐辛子を刻んだものが入っていてピリピリするのだった。

すぐ近くで屋外でライブ演奏をしていてすさまじい音響だった。インド音楽とヒップホップが混じったような感じ。今日は何か特別な日だったんだろうか。

 

 

インド 地上絵・壁画撮影行 その1

成田から直行便で夜インドのムンバイに着いた。ずっと時差の多い国に行っていたので、3時間半差というのは助かる。

インドルピーはこのとき1.77円だった。円安なので、きっとルピーも高くなっているのだろうと思ったが、調べてみるとかつてはもっと高い時代があり、円高だったはずの90年代後半など3円を超えていたようだ。70年代前半の旅である『深夜特急』には35円だと書いてあった。

予約していたホテルはビルの2階に数部屋だけあるというものだった。ビジネスホテルのような感じだ、旅行代理店はもっと高いホテルをツアーの一部に組み込もうとしていたが、無駄なので、自分で別の宿を予約した。全く不自由なかったが、そこに着くまでの露地の、人とバイクとリキシャと自動車がクラクションを鳴らしながら入り乱れ、人が牛がそれらの間を縫って歩く様子は、他のどの国でも見たことのないものだった。

出発前に自分で運転して南の町ラトナギリに行く手もあるなと思って、そんな書きこみをTwitterしたら、インド旅のエキスパートの蔵前仁一さんが「絶対にやめてください」と。「インドの道路はカオスそのものです」と。たしかに、カオスというのがよくわかった。もし自分で運転していたら、道順はわかっても、クラクションや無理やり横をすり抜けていくバイクやリキシャ、逆送してくるバイクなどで消耗し切っていただろう。

宿から出て夕食を食べに宿沿いの道を歩く。軽食専門の店でチキンサンドイッチを食べた。鶏肉を細かく砕いたものをマヨネーズであえたような感じだ。辛いというほどではないが、スパイスがきいている。酒屋でビールを買い、宿に戻った。

 

 

インド 地上絵・壁画撮影行 その0

明日、2月17日からインドに地上絵と壁画の撮影に行くことになった。先ず、西海岸のムンバイに。そこから南へ250キロ以上下って、Ratnagiriという町に。この町の北と南に地上絵というか、平らな岩盤に彫られた大きな刻画が数多く見つかったのが約10年前。ニュースを見たときは、情報がとても少なく、場所もはっきりしなかったが、今回あらためて調べたところ、相変わらず情報は少ないが、Googleマップに場所が記されているものも多く、さらにユネスコ世界遺産に登録申請しているため、主な場所の座標がわかった。

ただ、現地に行ってなんとかなるかどうかはよくわからない。時間も限られているので、あれこれ探しているうちに時間が過ぎていくかもしれない。ネットでこの壁画の見学ツアーを組んだことがある旅行会社が二つ見つかったので、連絡してみると、一つから返事があった。場所を知っているガイドと連絡してみると。

そのガイドとなかなか連絡がつかないというので、こちらで場所だけはほとんどわかると言うと、ガイド無し、運転手のみでムンバイからツアーを組むことはできると。宿泊は自分で予約するから車の手配だけでいいと言うも、それはできないと。宿泊込みでないとダメだと。価格を提示してもらうと結構高い。というか、これが南米とかだったら納得する値段ではあったが、インドの物価を考えると高い。どうしようか。

そうこうしているうちに、東京国際ミネラル協会さんから、いつもミネラルフェアに来ているMono Internationalさんはムンバイだから、連絡してみたらと。ご主人に連絡してみると、「私に任せなさい」と。なんと頼もしい! あれこれやりとりしていたのだが、どうも互いの英語でのやりとりがうまくいかないところがあり、最後は私が旅行代理店とやりとりしているということを、もうそこと契約してしまったと彼が誤解し、そのまま彼はアメリカへと旅立っていった。なので、結局、振出しに戻る。

自分で現地の町まで行ってタクシーに頼めば安くすむし、問題ないのではとアドバイスももらったけれど、もしそれでGoogle mapの位置情報がズレていたり、英語が通じるドライバーを手配するのに時間がかかったりすると、全部のサイトを回れないかもしれない。迷った末、最初の旅行代理店に頼むことにした。が、幸い、現地の考古学者が案内してくれることになり、結果的には自力で行くよりもよかったように思う。場所が特定できても点在するレリーフのいくつかを見落とすかもしれない。現時点でわかっていることを教えてもらえるのもありがたい。

ということで、初インド旅行に。はたしてどうなるか。

タッシリ・ナジェール壁画紀行 その16

グループと別れて、この日は英さんと日帰りツアーに出る。タッシリ・ナジェールで行きたいと思っていた場所はだいたい行けたのだが、周辺にはまだまだ見たい場所があった。特にTin Taghirtの刻画はこの地域を代表するものの一つなのだが、アンドラスのツアーの後半に組み込まれていることが多く、未だ行けていなかった。いつか見たいと思っているとTwitterに書いたところ、それを見た英さんから一緒に行きましょうか、とお誘いが。ジャーネットはからかなり遠いと思っていたが、200キロほどで、日帰りで十分行けると。これは嬉しかった。

朝日が水平な岩盤に彫られた刻画を横から照らす時間がベストなので、6時過ぎに出発する。運転手とコックのムハマッドが同行してくれた。

Tin Taghirtは比較的幹線道の近くにあり、アクセスは容易だった。受付があり、ガイドとともに靴を抜いで岩盤の上に上がるようになっている。かなりの数の刻画がある。タッチや技法を見た印象では、いくつかの異なる時に彫られたもので、巧拙の差も大きい。

 

 

一番有名なのは牛の刻画だが、ほぼ実物大の牛が渦巻き模様などとともに彫り込まれている。すばらしい。魔術的といっていい美しさがある。深く彫られた刻画だが、有名なジャーネット近くの「泣く牛」とも違うタッチだ。似たものはもっと北にあるDjoratにもあり、門田修さんの写真集に渦巻きとサイの刻画の組み合わせが掲載されている。

 

 

この渦や紐をねじったような形にはどういう意味があるのだろう。広い壁面に様々な動物の刻画があるが、この様式はこの牛の絵にかぎられている。

「眠るアンテロープ」も有名な刻画だ。1000ディナール紙幣にもこの絵が使われている。タッチからして、これも牛と同時代のもののように見える。

 

 

他にも、キリン、象、サイ、ダチョウ、ウサギ、人間、人間のサンダルの足跡など、様々な刻画がある。判別しにくいものもあるが、これほど多くの刻画が集中している場所も珍しい。

 

 

さらに北西に進み、Tikadiouineへ向かう。これについては、実はスケジュールに入っていることがわかっておらず、到着してはじめてこの壁画の場所かと驚いたのだった。

そもそもタッシリ周辺のGoogle Mapにもネットの情報にも、どの壁画がどこにあるかなど、ほとんどマークされていない。位置関係がよくわからないのだ。

 

 

Tikadiouineはイヘーレン様式の壁画で、保存状態もこれまで見た同時代のものとは比べものにならないほど良い。直射日光があたらない天井に描かれているが、光があたらない場所というわけでもないのに、なぜそこまで状態良く残っているのか不思議だ。

これまで見たイヘーレン様式の絵は、牛の群れと牛に乗って移動する女性たちが多かった。それか、ライオン狩りの場面か。ここに描かれているのは、男達が動物の肉をさばいているらしき場面だ。長い刃物をつかって肉をそぎ落としているように見える。

 

 

壁画の撮影を終えて、車に乗ろうとすると、ムハマッドが「あそこにムフロン(バーバリシープ)がいる」と。遠くの岩山の方を指さす。指さす方向を見てもわからない。

「どこ?」

「ほらあそこだよ」

彼が指を向けている先にカメラの120ミリのレンズを向けるがそれでもよくわからなかった。

帰国後に拡大して、ようやく理解した。驚くべき視力だ。いや、形をはっきりと視認しているというより、どういう場所にどういう動く形があるかで、それが何かを認識しているのだろう。「見る力」は環境に培われた力なのだろう。

少し移動して、やはり壁画のある小さなシェルターの蔭で昼食をとった。ムハマッドがつくってくれた、ジャガイモとツナとトマトをビネガーであえたものだ。おいしい。昨日までのカサカサの食事とは雲泥の差だ。私は旅先でおいしいものを食べたいとか、あまり思わないタイプなのだが、二週間のカサカサ・ドロドロを経た後では、料理ってすばらしい...と実感するのだった。

 

 

アルジェリア来るのは三度目だが、あまり町を歩く機会がなかった。町に、マーケットに寄ってほしいと頼むとアーケードの前に駐車した。中に入ると、衣料品や土産物や化粧品などに特化したマーケットだった。食料品が売っている所が見てみたかったのだが──。それにしても活気というものが全くないマーケットだ。英さんと値段交渉をしたが、あまり値引きもしないし、売れても売れなくてもいい、といった感じだ。トゥアレグのクロスを買った。決して安くなかった。チュニジアで買ったときの倍以上しただろうか。日本の通貨価値がさがっているからなのか、ここ二〇年ほどで世界の物価がそうなってきたのか...。

 


宿に戻り、荷造りをする。アルジェに飛ぶ便は夜2時15分発だ。ただでさえ遅くところにもってきて、なぜか出発が1時間以上遅れた。特に説明も無し。

3回目のアルジェリア行きが終わった。サハラにはリビア、エジプト西部、ニジェール、チャドと、他にも壁画の多い場所が多くあるのだが、今、どこの場所も訪れるのが難しくなっている。チャドは行けると思っていたが、つい最近観光客が襲われる事件があるなど、治安も悪くなっているようだ。ニジェールもクーデター後の話が全く聞こえてこない。いつか行く機会はあるだろうか。

 

タッシリ・ナジェール壁画紀行 その15

タッシリの台地を降りる日。昨年上がった道を下る形になるのだが、ラクダが降りるには急すぎるので、ロバに荷物を積みなおす。ラクダたちよ、ありがとう。

しかし、やはりロバの目にじっと見られると、「すみません...」という気持ちになるのだった。

 

 

標高1700mから約500mの下りだ。この日はただ降りるだけで途中壁画は見ない、と言ってはいたが、少しはあった。この女性像はフォルムがいい。

 

 

途中昼食をとったあと、私と英さんだけ違う筋を降りてしまった。

ずっと下まで見通せる所でも、先に行った人たちが見えない。

「もしかして道を間違えたかな」と。だんだん心配になってきた。道はちゃんとあるので、下に降りられることは確かだが、我々が別のルートを降りているということは知らせる手段がない。

どうするか...。本来の道の下り口まで、GPSを見ながら移動するしかないかな、と思っていたら、上の方から声が。ハンス・ペーターのお孫さんのエルマーだった。

「君らは違う道を降りてるけど、そのまま行って。降りたら待ってるように」と。彼はアメリカでフリークライミングまでやった人で、こんな程度の山歩きは何の問題も無いし、地図を見て、別のルートがあることを知って確認に来てくれたのだ。ありがたい。

結局、他のみんなが行った道とそれほど離れていなかったので、簡単に合流できた。

下に降りて、コーラが飲みたいね、などと話しつつしばらくして、車が迎えにきた。これで今回のタッシリのトレッキングは終わり。風邪をひいただけでなく、足の裏が痛くのがきつかった。次回こんな風に長く歩くときは、新しい靴で歩くのはやめておこう。

 

 

ジャーネットに戻り、シャワーを浴び、髯をそる。ただ、私と英さんにはもう一日ある。2週間ぶりにインスタントでない食事をとる。クスクスに煮た野菜と羊肉を乗せたものだ。おいしい。日本から持ってきたエビせんをみんなに食べてもらった。外国人に人気の菓子の第1位はエビせんらしいので。

エビせんが個包装されているのをみて、みな、「え?袋に入ってるのに、さらにひとつずつ包装されてるの?」と。これが日本です。過剰包装です。ただ、それを全て否定すると、自分の職業にもかかわってくる。

袋に「約18枚」という表示があったが、それを見たブルーノが、「え、年齢制限があるの?」と。

 

 

タッシリ・ナジェール壁画紀行 その14

Tan Zumaitakにキャンプし、早朝から再び見事な壁画のある大きなシェルターに向かう。壁面は太陽と反対方向に向いていたので、かなり暗かったが、一部穴が空いているところがあり、そこから光が入ってきて、だんだん全体がいい色になってきた。

三脚を持ってきたので、ここで初めて壁画撮影に使う。でないとISOが1200とかになってしまうので。

本当に素晴らしくいい壁画だ。ずっと見ていて飽きない。体にドットでつけられているのは瘢痕文身だろうか。頭の飾り、首につけた飾りは何で出来てるんだろうか。

 

 

左の人が腕や手首にかけている白い房状のものは何だろうか。この二人、そして右向きで棒のようなものに手を伸ばしている人には細長い乳房がついている。ということは、最初の並んでいる二人は男性だろうか。

 

 

小さな人に手をのばす女性像がある。狩猟採集民の時代の壁画のモチーフは妊婦のものがとても多い。ここに描かれている女性たちもお腹が少し膨らんでいるようにも見える。小さな人は、赤ん坊というより、これから生まれてくる命の象徴、魂みたいなものかもしれない。

 

 

この左側の動物はヘタすぎてなんだかわからない。中央と同じバーバリー・シープだろうか。右端のクラゲみたいなものも、何なのかわからないようだ。この二つはタッチからして違うときに描かれたものだろうけれど、どちらも狩猟採集民の時代だ。

 

 

三脚を使っての撮影がひととおり済んで、別の場所に撮影に行くが、すぐにここに戻って、またパノラマ用の撮影をした。

マイケルも当然三脚を使ってハッセルで撮影。ディテールをプレビューで見せてくれて、すごいでしょ、この解像力、という顔をする。確かにすごい。

 

念願叶って嬉しかった。もっといても飽きなかったと思うが、出発。前回も訪れたTamritに向かう。谷に降りると衝撃的なものを目にすることになる。

 

 

タッシリの固有種で樹齢2000年を超えるといわれるイトスギの巨木が何本も完全に立ち枯れてしまっている。部分的にではない。完全に枯れてしまっているのだ。

 

 

ここ半月ほどの雨で、谷には細い川が流れていたが、今夏はかなり気温が高かったようだ。土中の水分が完全に失われてしまったのかもしれない。今年の8月の衛星写真ではまだ緑色に見える。その後で枯れたということか。wikipediaによれば、233本しかない絶滅危惧種だ。気候の極端化はさらに進むと考えられているので、絶滅が心配される。

なんとかこの川の水で復活してもらえないだろうか。

 

前回も見たイヘーレン様式の絵を再び撮影。赤いドットは全て羊の頭の部分。昨年書いたブログでは戦闘場面としたが、槍を振り上げる姿など、イヘーレン様式定番のライオン狩りの場面で、ライオンの部分が消えていてわからないのかもしれない。振り下ろした槍の先にあるのは、転んでいるような形の人の片足なのだが、この倒れた人を皆で追い回して殺そうとしている場面というのは、あまり考えにくいような気もする。

 

 

Tamritで昨年見ていないエリアがあったため、しばし探索。双頭の蛇の絵を探すが、なかなか見つからない。ようやくとても低いシェルターの、ひさし部分の裏側に見つかる。これは舟なのか、蛇なのか、ということで議論があるようだが、アンリ・ロートは舟だと解釈していたようだが、同じモチーフのものを見ると、舟ではないことはわかる。両端に頭がついていて、両方に向けて弓をひいたり、手を上げたりしている人たちとセットで描かれているからだ。(画像補正)

 

 

ロート隊の複製画にもある、象が三頭かたまっている絵も見る。象の絵で、こうした動きを感じさせるものは初めてみた。上にあるキリンの首の模様みたいなのはなんだろう。(画像補正)

 

 

ひととおり、エリアを探索し、さすがにもう見る所はないかなとなっていたとき、ガイドのブーバカーが来た。戻りが遅いので、様子を見に来たんだろう。彼はいつもこうしたタイミングですっと現れる。

「こっちのは見たのか?」と。そこはちょっと岩陰に隠れていて、入り口がはっきりせず、見落としていたエリアだった。入ってみると数多く壁画のあるシェルターが。トゥアレグのガイドはマイナーな壁画の場所はそんなに詳しく知らない人が多いようだが、さすがに彼は経験が長く、いろんな場所を知ってるんだろう。

 

 

明日は最終日。台地を降りていくだけだ。

 

タッシリ・ナジェール壁画紀行 その13

幸い、寝て起きたら、かなり体調が良くなった。

朝食時、テントをたたんでいた英さんが「サソリだ!」と大きな声を上げる。見に行くと、大きな黒いサソリがクモをくわえている。砂のような色のサソリは前に見たが、こういう色の大きなものは初めて見る。皆で写真を撮って追いかけ回したので、気の毒に最後は岩壁をどんどんと上に上って、逃げていった。

クーンによると、サソリ除けのため、ハリネズミを家の周りで飼う人も多いのだそうだ。彼は昨夜、テントの回りを歩き回るハリネズミの足音(?)を聞いたのだと。

 

 

 

Ouan Benderを出て、Ouan Derbauenに向かう。昨年も訪れた場所だが、まだ見ていない場所があるというのも理由だが、要するに南に向かって、昨年のコースを逆に辿るようにして台地から降りることになる。

道は勾配のきつい岩場もあったので、ヘルムート、ガートルード夫妻もラクダではなく、徒歩で。

Ouan Derbauenでは、昨年も撮影したイヘーレン様式の大きなキャラバンの絵をもう一度撮影する。アンドラスがDStretchで良い効果を得るには、フラッシュをたいて、少し露出オーバーくらいの感じで撮るのがいいのだと。昨年彼が送ってきたDStretchの画像は私がやったものとくらべものにならないくらいディテールが良く出ていて、ちょっと驚いたのだ。撮り直したもので再度試みたが、やはり彼の写真ほどの成果は得られなかった。彼はペンタックスのカメラを使っているが、センサーの違いもあるのかもしれない。

 

 

この壁画、ごく一部かすかに色が残っているが、元は本当に緻密で素晴らしい仕上がりの絵だっただろう。もう少し状態良く残っていればと思わずにいられない。5000年も経っているのだから、仕方ないのだが。

 

何かと議論の多い壁画も再見。この絵の複製画を見たフラニ族出身の作家ハンパテ バーは、Tissoukaiの丸い幕と牛の絵同様、この絵もやはり、ロトリと呼ばれるフラニ族の伝統的な儀式と同じものを表してると言っている。牛のまわりにある細長いものの先端には動物の頭が描かれていて、これを神聖な蛇と見るのだが、壁画を前にして、蛇には見えないな〜、とか、この足がいっぱいあるようなのはムカデに見える、とか、皆思い思いに言うのだった。

 

 

この壁画のロート隊の模写は、現在複写を保管している自然史博物館にないが、かつて複製画の展覧会が世界を巡回したときには展示されていて、英さんが購入した1964年の日本のカタログの中に挟んであったチケットはまさにこの壁画の複製画だった。現在この複製画の所在はわからなくなっている。どこかに眠っているのだろう。

複製画を見ると、たしかに蛇のような姿の生き物がたくさん描かれていることがわかる。なんにしても、とても興味深い絵だ。

 

 

帰国後に複製画をあらためて見て気付いたが、私が撮影した範囲は十分ではなかった。肉眼では見えないし、DStretchでも出てこないかもしれないが、もっと広範囲に撮影するべきだった。こういうことは多々ある。

 

昨年訪れた場所でも、全く気付かなかった面白い壁画があった。ちょっとマンガ的なシチュエーションに見えるものだ。その場で見たときは、風呂上がりの女性がバスタオルの上から胸をおさえて、前を行く男達を追いかけているような感じに見えたが...。これはどういう状況を描いたものなんだろう。前を歩く二人は頭の部分が消えている。

 

 

Ouan Derbauenを出て、Tan Zumaitakに向かう。ここが私にとって今回最大の目的地だ。タッシリの壁画といえば、セファールの巨人かTan Zumaitakの壁画が紹介されるといってもいいほど、タッシリを代表する狩猟採集民時代の壁画なのだ。前回のツアーでも予定に組み込まれていたのだが、時間が無くなって、行かないことになった。未踏査のエリアを見ることが優先されたのだ。そのときは本当にがっかりした。

Tan Zumaitakの大きなシェルターの前に立ったのはもう5時近い夕暮れどきだった。やはり素晴らしくいい壁画だ。狩猟採集民時代のセファールの巨人などの素朴で力強いラインの絵も良いが、この壁画は繊細で、しかも描かれているものも面白い。そしてなにより、保存状態が圧倒的に良いのだ。翌日の午前中もここでたっぷり時間をとるという確約を得て、この日はざっと見て、おおまかに写真を撮るだけにとどめた。

 

 

このツアーは壁画を見ることに特化しているため、たくさん写真を撮る人が多いのだが、面白いのは、いちばん重装備で来ているマイケルが、限られた場所でしかシャッターをきらないことだ。彼は昨年のツアーでは私と同じD850を持ってきていたが、今年は出たばかりのZ8に乗り換えていた。そして、例によってZeizの単焦点のレンズを何本も、三脚はジッツォの重いものを持ってきている。そして、驚いたのは、今回ハッセルブラッドの中判カメラ(デジタル)を新調して持ってきていた。ボディだけで100万円超える。彼が持ってきているカメラとレンズ全部合わせると500万くらいするかもしれない。それなのに、あまり写真を撮らない。禁欲的なのか新しいもの好きなのかよくわからない。私のようにたくさん撮って後から選ぶ、という態度とは真逆だ。フィルムカメラでの経験が長く、そういう態度が染みついているのかもしれない。

ドイツ人のハンス・ペーターは小さなコンパクトカメラとライカの一眼のフィルムカメラを持ってきている。フジフィルムのポジフィルムが手に入りにくくなっていると、こちらもここ一番のところでしかライカは使わない。フィルムの入荷待ちのウェイティングリストに登録しているというので、「日本で買って送りましょうか?」というと、「いや....。私が何歳か知ってるか?(84です) もうそんなにたくさん写真を撮る時間は残されていないのだよ」と。私よりもずっとしっかり歩いているように見えるんだが。