ユタ・アリゾナ壁画紀行 1日目

約2週間、北米のユタ・アリゾナに単独で壁画の撮影に行くことになった。6月は海外の研究グループに同行してボルネオ島に行く話もあったが、手続きが整わず、かわりに選んだのが北米だった。

北米は面積が広いからあたりまえなのだが、壁画サイトの数が膨大で、どこから手をつけていいのかよくわからなかった。行くとしたら仕事をやめてから2ヶ月くらいかけて周遊するしかないのかなと思っていたが、ユタ州メインで考えれば10日間ほどでそれなりに見て回れるということがわかってきた。幸いユタに関しては壁画のある場所を網羅して、細かく位置データや歩くルート、所要時間などを示したサイトが複数ある。これをひとつひとつGoogle Mapに登録して、ルートを考えていった。

せっかくなので、壁画サイトだけでなく、ユタ、アリゾナコロラド景勝地、遺跡などを加えて12日間の予定を組んだ。かなりの移動距離になる。ちょっと欲張りすぎな感じもあり、できれば現地に行って、感触をつかんでから旅程をフィックスしたかったが、ハイシーズンで、アナサジの住居跡メサ・ヴェルデや奇岩や岩のアーチで知られるアーチーズ国立公園などの入場券はすぐに完売してしまうので、予約を入れざるをえない。ただ、一度予約を入れてから、モニュメント・バレーを訪れる予定の日が運悪く自転車レースの日と重なっていて、中に入れないことが発覚。仕方なく、大きく東に移動してからまた西に戻るという効率の悪いコース設定にせざるをえなくなった。

 

 

と欧米の物価がここ20年余でどんどん開いてしまったことと、この一年の円安で、滞在には何かと金がかかる。宿も田舎町の街道沿いの安いモーテルでさえ安くても8000円台から12000円くらいする。一ヶ所、壁画サイトが町からかなり離れた場所にあり、暑くなる前の午前中に山歩きをする必要があるため、前日は近い場所にキャンプすることにした。国立公園や州立公園には公営のキャンプ場も多い。せっかくテントや寝袋を持って行くのだから、一泊ではもったいない。倹約にもなるだろうと、3泊キャンプすることにした。食事もごく普通のレストランに入ってもおそらくチップを含めると4000円くらいかかるだろう。高いので、日本から防災用にストックしていた期限切れのアルファ米を持って行くことにした。

移動距離が長いのも少し心配だったが、最も気掛かりなのは車の運転そのものだ。当然右側通行で、オフロードにも入らねばならない。交差点を曲がって、ふといつもの感覚で左のレーンに入ってしまう、なんてことがありそうだ。これまでイギリス、アイルランド、オーストラリア、南アと、あちこちで車の運転をしてきたが、皆、日本と同じ右ハンドルの左側運転だった。左ハンドルの右側通行の運転をするのはメキシコのオアハカで一日運転して以来だ。たしかそのときも交差点で間違って一瞬左に入りそうになったような気がする。それももう30年も前のことだが。

羽田を昼に発ち、ロサンゼルス経由でラスベガスに。ユタといえばソルトレイクシティーが最大の都市だが、あまり接続のいい便が出ていない。それに、ソルトレイクシティーは北部にあるが、壁画サイトは中部以南が圧倒的に多い。

ラスベガスに午前中に着き、レンタカー屋に。dollerというハーツの子会社で、4WD車が例に挙げられていたクラスを予約し、さらに4WDにしてほしいと特別に希望を出しておいたにもかかわらず、カウンターに行ってみると4WDはないと。一クラス上にすればあると。一日50ドル余計にかかるが仕方ない。レンタカーの車種は本当に希望どおりにならないことが多いような気がする。車種のリクエストなんて何の意味もない。

結局1日50ドル上乗せしてトヨタハイランダーに乗ることになった。どこにも4WDと書いてないけど4WDなんだろう。車が置かれた場所がわからずうろうろするなど、時間がかかってしまったが、ラスベガスの町を出て高速に。キャンプ用品の専門店REIに寄って、ガスのキャニスターを買おうと思っていたが、この日に宿泊する予定のブライス・キャニオンのスーパーでも売っていることを確認したので、まっすぐ目的地に向かうことに。

 

 

走り出して早々、後ろのハッチが閉まっていないというアラームが鳴りはじめた。閉まっているし、カチッとロックもしている。なぜなのかわからないが、かなり大きな音の警告音が鳴り続けるので、結構なストレスになる。マニュアルを見ようかとグローブボックスを開くと、入っていない。窓を少し開けて内側から風圧がかかる状態にするとアラームが鳴らないことを発見し、それでなんとかしのぐことにした。この音に丸2日ほど悩まされることになった。

15号線を300キロほど北上し、Parowanの町から西へ入る。岩山の間を道路が貫いているが、これはパロワン・ギャップと呼ばれる自然の裂け目で、昔から道が通っていて、一種のランドマークだったのだろう。両側に多くのペトログリフがある。ほとんどが抽象的な模様だ。螺旋、同心円、波形、ドット、格子模様、太陽のようなものや大きな耳のついた人物像などもある。模様には氏族のシンボルや特定の場所を示したものなどもあるようだ。

Parowan Gap


ユタの壁画はフリーモントと呼ばれている文化に属しているもの多いと考えられている。この担い手は紀元1世紀頃から1300年頃まで現在のユタと隣接する州の一部に広がっていたが、単一の部族であったとはかぎらない。この時代の文化的共通性をもった人々を便宜的にフリーモントと(フリーモント川からつけられた名)と呼んでいるようだ。狩猟採集とトウモロコシ栽培を行い、竪穴式住居に住んでいた。1300年頃に居住地から姿を消したとされているが、理由はよくわかっていないという。気候の変化により、トウモロコシ栽培が成り立たなくなり、他のエリアに移っていったという考えも有力なようだ。

壁画のひとつに解説がついていた。フリーモントの文化と共通性をもつと言われているパイユートの人が読み解いたものらしいが、この絵解きが読んでもよくわからない。何かの出来事を記したような、伝説を記したような……。なんにしてもこれが正確な絵解きだとしたら、ちょっと驚きで、まるで絵文字のような感じだ。

 

 

パロワン・ギャップの近くには恐竜の足跡が残る場所があるので、これにも寄ってみたが、なんと最も状態の良いものが10数年前に割られてしまっていて無残な状態になっていた。いやがらせなのか、うまく割り取ってコレクションか販売用に持ち帰ろうとしたのか。

 

 

この日はさらに東に移動し、奇岩の並ぶ景勝地として知られる国立公園ブライス・キャニオンの近くのモーテルに泊まった。夕食と翌日の朝食用にサブウェイのサンドイッチを買う。こちらはガソリンスタンドに付属の売店にサブウェイが入っているところが多い。驚いたのはクレジットカードの支払い機に「チップのパーセンテージを入力」という表示が出たことだ。ファストフードでチップ? これはその後に入った店では出なかったのだが。

モーテルに着いたが、まだ日没までかなり時間があったので(ユタは西海岸時間よりも1時間進んでいるので、8時過ぎまで明るい)、ブライス・キャニオンへの道を進み、Ruby's Innという宿に併設された大きな売店に。ガスのキャニスターや薪を買う。薪はどこでもだいたい一束7ドルだった。