インド 地上絵・壁画撮影行 その3

朝7時に出発する。昨日が早かったので、できればもう少しゆっくり朝食をとってからと思っていたが、刻画の撮影は朝と夕方が光が低い位置から差すので、絵柄が鮮明になっていいでしょと、アプテ氏が。おっしゃるとおり。

最初はラトナギリの北方の近いサイトを回ろうかと言っていたが、リサーチ・センターの皆さんの考えで、南側の遠いところから行っておいた方がいいだろうということに。

 

 

いきなりこのエリアで最大の絵のあるKasheli村のサイトに向かう。ここは座標はわかっていたが、Google Mapで見ると道が無いエリアで、ガイド無しだとどうやって行くか難しいなと思っていた。コンカン地方はひたすら平坦なラテライトの岩盤の土地が続く。オフロードになっても、大きな木もあまり生えてないし、地面も起伏なくしっかりしているので、通常車でも走りやすいともいえる。

巨大なゾウの刻画の場所についた。これまでに発見されたものの中では最大の絵だ。耳からお尻まで13m以上ある。写真でだいたいの大きさのイメージはもっていたが、それを超える大きさだ。地上からだと全体像がよくわからない。昨日、脚立を買いたいと言ったら、アプテ氏が、自動車の屋根に乗って撮ったらいいんじゃないか、すぐ近くまで車を寄せられるところが多いからという。ジテンドラも、まぁいいよと。脚立よりもワンボックスの屋根の方が高さがあるから、そうしようということになった。

自動車の屋根に乗って、さらに長い自撮り棒の先にカメラを付けても、まだ全体がはっきりと収まらない。ともかく巨大な絵だ。

ゾウの体の中には小さな動物の姿がさくさん彫られている。サル、鹿、サメ、鳥、イノシシ...。よくわからない抽象的なラインもある。ゾウという最大の動物の中に野生動物の宇宙が広がっているような、そんな絵だ。

3Dスキャンしたが、やはり大きすぎてどこかに矛盾が出てくる。

 

 

子象や子どものサイらしき絵もある。尻尾を引っ張り合っているようなサルも。全体にユーモラスで、楽しんで描いているように見える。だが、彫る作業はそんなに簡単ではなかったはずだ。小さな打製石器しか出土していないのだ。何らかの信仰のようなものに裏付けられてないとやれない作業かもしれない。

この地域にゾウやサイなどの大型の哺乳類がいたのは氷期の終わりまでしか確認できてないという。そのこともあり、こうした動物の絵は氷期に狩猟採集民によって描かれたのではないかと言われているようだ。2万年前くらいまで遡るのでは、というのがリサーチセンターの見方のようだった。

ラグナートくんが、このゾウは鼻先に唇が二つあるから、アフリカゾウのようだと。インドゾウは一つだから、狩猟採集民が間違えるはずないだろうと。インドにはいなかったはずのカバの絵もあると紹介されたが、体つきはカバらしいが、肝心の頭がそれらしくなかった。ゾウの絵もアフリカゾウにしては耳がかなり小さい気もするが、どうなんだろうか。むずかしい。もしインドにいなかったはずの動物の絵だということになると、年代の問題を超えて、どこから来た人たちが描いたのか、謎は数段深まってしまう。

Kasheli村を出て川沿いにある食堂に。朝食には何を頼もうかなと考えていたら、ジテンドラが勝手に頼んでしまった。来たのはピラフのようなもので、辛そうなソースは別添えになっている。あ、これなら大丈夫かなと思ったが、やはり青唐辛子の刻んだやつがそれなりに入っている。

 

 

ラグナートくんがこれに加えて、パンにコロッケみたいなのが挟まれたものを食べている。ワダパウというこの地方特有のものらしい。そっちの方がよかったな...。

さらにずっと南へ下って、Barsu村に。ここの絵も楽しみにしていたが、なんと、誰かが絵柄をわかりやすくするために刻画の溝に白い粉を入れて、放置していた。これはがっかりした。アプテ氏らもかつて世界に紹介するために染料を溶いた白い水を溝に流して撮影したことがあるが、それはきれいに洗い流せるものだったと。ラテライトの岩には細かい穴がたくさん空いている。この粉は水に溶けないし、穴に白い粉ががっちり入りこんでしまっているので、簡単に除去できないだろうと言っていた。もしかすると細かい樹脂の粉かもしれない。雨期に大雨でも降って洗い流されないかぎり、元通りにならないだろう、誰がやったかつきとめて責任をとらせる、と彼らは言っていたが、最初に白い水を入れた写真を世界に広めたのは彼らなので、そういうアイデアを広めてしまったとも言えるように思う。同じようなことをして写真を撮ろうという人が出てきてもおかしくはない。除去しやすいものかどうかということは写真を見ただけではわからないから、白い粉を入れればいいかなと考える人もいるだろう。北欧の刻画も赤い塗料でがっちり色付けしてしてしまっている。わかりやすいに越したことはないという感覚もあるのだ(北欧の方は反省して、今後は一切そういうことはしないと言っているようだが)。

 

 

なんにしても、この白い粉のために、数千年前の絵がまるで新しく石灰の粉で描いたもののように見え、台無しだったが、仕方ない、また自動車の上に乗って自撮り棒を伸ばして写真を撮った。

三つ目のものを撮影しようと棒を高く伸ばしたとき、カメラが落下。岩に叩きつけられて、完全にオシャカになってしまった。ネジが緩んだのだ。

さっきラグナートが「え? その棒は中国製なの? 中国製は品質が悪いでしょ」と言うので、それに対して、「いやいや、最近の中国製はそんなにちゃちじゃないんだよ」とか言ったばかりだった。彼は「あー、やっぱりね...。だから言ったじゃん」という顔をしている。ラグナートくん、まだ若いから仕方ないけど、そんな風に世界を斜めに見てばかりいたら...とかいうことはどうでもいい。どうして伸ばす前に締め直さなかったのか...。悔やまれるがもうどうにもならない。白い粉とカメラの落下で一気にやる気がなくなってしまった。

Barsu最大の絵は大きな人物像の左右に虎らしき動物が向かい合うように描かれたものだ。虎のアウトラインの内側は、縦縞ではなく抽象的なデザインが施されている。独特な様式で、手法もKasheliのゾウやDewoodのサイなどの線刻画と違って、面を浮き上がらせるレリーフだ。

この人物の両側に獅子や虎のような動物が向かい合っていて、手なずけているようなモチーフは、メソポタミアインダス文明などで見られるMaster of Animalsと呼ばれるもののひとつと見るべきだろうと考える学者は多いようだが、リサーチ・センターの人たちはこれには賛同していないようだ。中央の人物に手が描かれていないからだというが、これはかなり様式化された絵なので、そのことは決定的な違いとはいえないかもしれない。体の左右にせり出した部分が腕を表現していると見ても不自然ではない。私は全く関連が無いと見るのは難しい気がするが、どうだろうか。下のものはインダス文明の遺物。

https://www.flickr.com/photos/28433765@N07/6607103607

 

Master of animals from Indus valley

 

この、さらに高度に抽象化されている絵も、両手に鳥のようなものを逆さに持つ人物で、同じくMaster of Animalsの一種とも見られている。同じようなモチーフがシュメールのものに残っている。

 


カメラの破損に打ちひしがれながら、南西に4、5キロ移動し、Devache Gothane村に。ラテライトで舗装された道を上がっていくと、男たちが集まっている。どうやら村で不幸があったらしい。ラグナート君が私のことを日本から来たカメラマンだと紹介したからだろう、その中の一人が、「俺たちを撮ってくれよ」と。

 

 

この村の刻画は大きな人物画だ。等身大よりもちょっと大きなサイズで、頭が大きい。この刻画は、遊牧民や旅人の通り道上にあり、かなり昔から知られていたようで、『ラーマーヤナ』の登場人物で、ラーマの妻シータをさらったラーヴァナの姿なのだと言われていたようだ。不吉な像として怖れられていたと。この像が彫られた岩盤は磁気を帯びていて、置く場所によってコンパスが指す方向が変わるのだと実演してくれた。確かに、少し場所を動かすだけで、全く異なる方向を指すのだった。

 

 

村に戻り、コンパスを貸してくれた家にお邪魔する。この家がなんともいえずいい雰囲気だった。村の寺院にも寄る。

 

 

朝食をとった食堂で昼食を。スープやデザートもついたフルセットの食事だった。これも気づいたら注文されていた。こちらのデザートは、丸いドーナツをシロップに漬けたものとか、ともかくものすごく甘い。選択権を与えてほしい...。

 

 

北上して、Rundhe村に。2017年と、ごく最近発見されたものだ。丸い、宗教的な世界図のような趣のあるものだ。絵というより、宗教施設といっていいのではないだろうか。レリーフは深く、そして形も洗練されている。矩形の中にいくつかの要素が合わさったような図があり、中央には両手を上に上げている人物がいる。どこか曼荼羅のようなものにも見えるが、似た形のものはインドの他の場所、時代の遺物には見つかっていないという。

 

 

この大きな図のすぐ外側には、つま先を開いた足のレリーフがある。コンカン地方の人物画のほとんどがこの、つま先を左右に開いた足で描かれているが、このように足だけというものも少なくない。どういう意味があるのだろう。ここで足を清めてから円陣の中に入るとか? 

すぐ近くには虎らしき絵とイカかクラゲのようなものも彫られている。虎の中には午前中に訪れたBarsu村の虎と同じような模様が彫られているので、これらが同時代につくられたものだということを示している。

この場所は少し窪地になっていて、雨期には雨水がたまるらしい。大きな図形は各部が閉じているというか、雨が降ったら水がたまって、水量がレリーフの上面を超えないかぎり、流れ出ないだろう。レリーフの彫りはかつてはもっと深かったはずだ。もしかしたら、水がたまることも考えて作られていたのかもしれないと想像してみた。レリーフの窪み部分が全て水で満たされ、上面だけが水面上に出ているとき、窪みに溜まった水が青い空を写したら、それはそれで美しいのではないだろうか。

カメラを壊してがっくりきていたが、やはり上から撮らないと全体の形が記録できない。今度は自撮り棒にスマホ用のアダプターを付けて撮ることにした。元々カメラのような重いものをつけるためのものでなく、スマホ用なのだ。正しい使い方をしてみよう。だが、その様子を見て、ジテンドラとラグナートが「おいおい、今度はスマホを壊す気? 止めといた方がいいよ」と。もちろん壊す気なんて無いけど、まぁ、バネで挟んでるだけだから...最悪また落ちる事故もありえるかも。いいんだよ、もう。ここまで来たら、やれることは全部やるしかないんだよ、とか、口には出さなかったが、今度は棒を過信することなく、慎重に上げ下げして撮影。スマホでも解像度は少し低いが十分使える。

 

 

さらに東に移動して、Devihasol村に。ここにある地上絵もRundhe村のものと同様、宗教施設のように見えるが、方形だ。四つのエリアに分けられていて、それぞれの中に全く異なる模様が刻まれている。中央に近い窪みには石が置かれているが、これは現代になって地元の人が置いたもので、おそらくリンガムのようなつもりなのだろう。Rundhe村のものはほぼ対称形だったが、この地上絵は形は正方形に近いけれど、中の模様には対称性はない。中央に細長い魚のような形がある。

 

 

この地上絵の周囲の舗装された見学路やフェンスは地主が作ったようだ。見学路はともかく、周囲にある簡単な動物の刻画になんと白いペンキを入れてしまっている。地上絵の多くは私有地にあり、地主が自費で囲いや塀を作ったりしているようだが、早くルール作りをしないと、「よかれと思って」勝手に何をするかわからない。ペンキを入れた動物の絵を見たときはがっくりきて写真も撮らなかったが、今考えると撮ってはおくべきだった。

この日はこれで終わり。宿に戻る途中ビールを買いたいから酒屋に寄ってと言うと、ラグナート君が冷ややかに「残念だったね、今日は日曜だから酒屋はやってませーん」と。なんと。暑い場所での一日の終わりには是非ともビールが欲しいんだが...。が、しばらく走ると道沿いに酒屋が。開いている! 防犯上の問題なのだろうが、この地域の酒屋は小さな窓でやり取りするようにできている。安いキング・フィッシャーにしようかと思ったが、二人が「バドワイザーが旨いだろ」「そうだよね、そうしなよ」と強く勧めるので、味は知っていたが従うことに。

ラトナギリの宿に戻ると、ジテンドラがまた、「ディナーは?」と。「いらないよ。ビールもあるし」「それはよくない。何か食べろ」と、同じやり取りが繰り返されるのだった。

カメラがおシャカになったことも含めて、盛りだくさんの一日だった。